もしも言葉が、100しか話せなかったら
今からそう遠くない未来。
世界には暴言、失言、罵声が満ちあふれるようになりました。
とうとう世界中の政府はSNSを禁止し、さらには生まれてくる子供にある処置を施すようになりました。
それは、意味のある言葉を100回しか話すことが出来ないというものでした。
「もしも言葉が、100しか話せなかったら」
子供達が成長し、世界がすべて処置された人だけになったとき、世界中から暴言や罵声はほとんど聞こえなくなりました。
意志疎通をするときは、政府が支給する決まった単語しか表示できないタブレットを使うのが一般的になっています。
もちろんしゃべることはできますが、意味のある言葉が100を越えると、その人は死んでしまうのです。人々は死を恐れ、限られた不自由な仕方で思いを伝えるのでした。
自分が死んでまで伝えたい思いというのは、多くはないものなのでしょう。
そしてまた、死ぬほどの覚悟がない人の言葉も心に響かないものなのです。
ある夫婦に、子供が産まれました。
それはとても難産でたくさんの時間がかかりましたが、なんとか母子ともに健康でした。
処置を受けた子供とお母さんに、お父さんがそっと寄り添い、タブレットで『ありがとう』を選びます。
お母さんは微笑み、子供をお父さんの胸に抱かせました。
「………ありがとう」
不意に、お父さんは涙を流し言葉を発しました。
お母さんは驚き止めようとしましたが、お父さんのあふれ出る想いはもう止めることはできませんでした。
「ありがとう、ありがとう。生まれてきてくれて、僕達のところに来てくれてありがとう。君に世界を見せることができて本当によかった。僕がいなくなっても君はきっと立派になるだろう。……どうして、僕達は言葉を100しか言えないんだ。愛する人に想いをどうして伝えることができないんだ。君達と、もっと、一緒にいたかったのに!」
そしてお父さんは倒れ、二度と起き上がることはなかったのでした。
もしも言葉を100しか話せなかったら、あなたは何を話しますか?
暴言を吐くでしょうか。
それとも愛を伝えるでしょうか。