22/7はいつ終わり、いつ始まったのか
この記事は、以前のナナブンノニジュウニとはどんなグループだったのかをとらえ直し、それがいつから変化して、現在はどのようなグループなのかをまとめる目的で作りました。2次元キャラクターが居る意味についても触れながら考察していきたいと思います。
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以前、ナナブンノニジュウニとは何だったのだろう。私にとって”ナナブンノニジュウニ”は普通に生きることのできない人間を集めて作った、グループセラピーのようなアイドルグループでした。ライブ直前に欠席のアナウンスがあったり、ライブ中に気絶したり、番組の生放送で急に泣き出したりと、到底社会の中ではやっていけないであろうメンバーの存在が私にそう思わせていました。そのグループでよくステージの中心に立っていた西條和が、オーディションの時に放った言葉は「このまま死ぬのは嫌」でした。自分のことを認めることが出来ず、他者が認めてくれなければ生きているかどうかもわからないような人間が、他人に希望を与えるとされているアイドルグループを結成していたと思うと、とても不可思議です。
ところがアイドル以外の作品に目配せをしてみると、その不可思議がとても自然なことだとも言えます。現在放送しているドラマの主人公は皆どこか世の中や自分に不満があり、その葛藤を乗り越える過程がドラマの主旨となっていることがよくあります。完璧な人間が人に勇気を与えるような英雄伝をメディアで見る機会は実はあまりありません。漫画でも、ドラえもんの主役は出木杉くんではなくのび太ですし、ブラックジャックは手術において天才的な技術があるとされていますが思い返すといつも苦悶の表情を浮かべている気がします。”ナナブンノニジュウニ”も笑顔が絶えないグループだとは決して言えなかったでしょう。卒業したメンバーの中にはアイドルだった時代を含めて未だに過去の自分は全部ダメだったと語る人もいます。不安定な人間で結成されたアイドルグループというのが昔のナナブンノニジュウニだったのでしょう。卒業者が出る度に今後に不安が寄せられていたこともそれを表していると考えられます。歌詞を見ていてもその因子を見つけることができます。『とんぼの気持ち』という曲の中に出てくるあらゆる感情は世界が希望に満ち溢れているというものではなく、絶望しかない世界で生きる意味を考えるだけ無駄という諦観を彫刻したものに違いありません。とにかく人として、立ち方もわからないような、そんな人間ばかりのグループでした。ファンはそこに引きこまれた、もとい引きずり込まれた結果、このグループから目が離せなくなったのでしょう。
ナナブンノニジュウニはデジタル声優アイドルという肩書を名乗り続けています。企画として、2次元のキャラクターと3次元の声優が両者別々の活動をする新規性に衝撃を受けたファンも少なくないでしょう。これを、不安定な人間で作ったアイドルグループというレンズを通して見ると、ただの2次元も3次元も活動するアイドルという枠組みをこじ開けることができます。そんなシステマティックな言い方ではなく"一人では決して生きていけない不安定さを思わせる人間に、中身がないと動かないキャラクターを与える"と、こんな言い方をするとどうでしょう。ソニーがやっているプロジェクトというものから、人の体温を感じることができるのではないでしょうか?道を一人で歩けない人間に、一人の人間を歩かせる仕事をさせる。ナナブンノニジュウニはそこを認識することで、他にない圧倒的な面白さを感じることができると私は考えています。
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ここまで、以前のナナブンノニジュウニは不完全な人間で結成した不安定さをその存在感に込めたグループだという話をしてきました。では今はどうでしょうか。記憶に新しい宮瀬玲奈の卒業の際、今後の彼女の人生に不安を覚えている人はほとんど居なかったように記憶しています。それはナナブンノニジュウニ以外にも携わったコンテンツがあることから、卒業後の仕事もある程度目処がついていることが関係しているでしょう。過去の話の時に触れた不安定さは、メンタリティ的な話で仕事や活動とはあまり関係がないとすることもできるかもしれません。しかし活動量が増えると仕事をしすぎて体調が不安だという意見が見受けられる時代からはやはり変わってきていると言えるでしょう。つまりどこかでナナブンノニジュウニは、個人としての生き方の不安定さを乗り越えたのです。それはいつでしょう。
”ナナブンノニジュウニ”が変わったタイミングは、第二章なんて言葉では表現しきれていないと思います。瞬間的に変わったのではなく長い時間をかけて遷移をしたことは感覚として共感していただけるかもしれませんが、何がキッカケで、いつ変化し始め、いつそれが終わったのか(もちろん現在も進化の過程なのですが、ここでは『人間として不安定を思わせるようなメンバーのいるグループ』が終わったことを意味します)を記述をしてみたいと思います。
この記事では、キッカケと変化の始まりは帆風千春卒業ライブにあたる「僕が持ってるものなら」のリリース記念ライブ(夜公演)にあるという仮置きをして進んでいこうと思います。読んでくださっている方々もこのライブが思い浮かんでいることを願います。このライブのアンコールは帆風千春がセンターマイクの前に一人で立ち佐藤麗華のキャラクターソングを歌いあげるところから始まります。ナナブンノニジュウニがキャラクターコンテンツであることを熱弁するようなステージに応えるように、会場は赤く染まりました。ここでもデジタル声優アイドルとしての活動という側面で物語を感じることができますが、本記事でしつこく触れておきたい人の不完全さについて見てみましょう。比較的グループでは真人間としてのふるまいを続けてきた帆風千春は、2018年にはその功績を認められグループのリーダーに就任しました。彼女は個人でFM FUJIのラジオ番組のアシスタントを務めていたのでその仕事ぶりには文句のつけようがないでしょう。 だからこそグループを卒業したわけです。 不安定な人間と自立できる人間は近づくほどその相違に向き合うことになります。これは本人が辞める理由について話しているのではなく、辞めた事実からそのことの意味を探していく作業であることを注釈しておきます。そして不安定な人間たちのグループの中で、安定を感じさせ続けた彼女はその最後をグループとしてのライブのアンコールに一人でパフォーマンスをするという姿勢で飾ったわけです。なんかもう完璧ですよね。
ここまでくると、やはりキッカケはこのタイミングという仮説は間違いないようです。そうすると変化の始まりもここに起因するものなのでしょう。帆風千春卒業ライブでもう一つ忘れられないのが、手紙です。帆風千春の卒業を受け、自分たちの活動、生き方を見つめ直すキッカケができた他のメンバーたちはリーダーにずっと助けられていたことに気づきました。メンバーが一人で立てない時、帆風千春は立てないメンバーの横に座ったり、立ち方を示してきました。しかしその存在が居なくなることを、メンバーは考えなくてはいけなくなったのです。立てない時の立ち方を、覚えなくてはいけなくなりました。これが変化の始まりでしょう。是非この文を読んでから、手紙のシーンを見返してみてください。
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変化が終わったタイミングについては難しいです。3人が卒業を発表し、1人の脱退が告知され、そして新しくメンバーが増え、と立て続けにグループは変形をしてきました。筋書として、以前のナナブンノニジュウニとは不安定な人間を単位としたアイドルグループだったので、変化の終了は不安定な人間が一人も居なくなった瞬間ということになります。これは白沢かなえ卒業というタイミングなのではないでしょうか。彼女は不思議な存在でした。新しく入ったメンバーからも愛され、メンバー別のファンの数もグループへの貢献と呼べるレベルのものなのに、彼女のファン以外からの評価は不相応に低いと感じていました。容姿は話題に上がっても、その人間性への言及は避けられるか、あるいは不満と呼べるものまであった印象です。ファンとメンバーからの愛が、他メンバーのファンの評価とギャップがあるのは、不安定さを持った最後の一人だったからだと思います。この頃にはナナブンノニジュウニに残っている初めからいるメンバーもそれなりに自分の歩き方を覚えたり、他のメンバーに歩き方を示すほどにもなってきました。それは他ならぬ新メンバー加入によってより解りやすく顕現したことはお分かりいただけるのではないでしょうか。その新メンバーはというと、それぞれが個性を持ち凄まじいスピードで成長をする、初めから一人で立てる人間たちでした。グループの方向と、それについていくファンが、立ち上がり方から歩き方に変わっていってる中、立ち方について思考を続けていたのが白沢かなえという存在でした。その悩みに同じく悩んだ経験を持つ最初からいたメンバー、その過去を踏まえてグループに入りそれを横で見ることになった新メンバー、そしてその悩む姿をずっと見守ってきたファンは、きっと白沢かなえのことを本当に好きだったのだと推測をします。この頃になると歩き方を応援するフェーズに入っていた他メンバーのファンがそこを見過ごしていたこともこのような理由があるのだと考えています。自立を覚え、歩き方を模索するメンバーがいる中で最後まで立ち方を考え、答えを探し続けた白沢かなえが担当するキャラクターが丸山あかねだというのも、不思議な因果ですよね。ここでも帆風千春の時のように、キャラクターコンテンツとアイドル活動の両者の結末が綺麗に結びついています。
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こうしてナナブンノニジュウニは生きる理由、一人で立つことをそれぞれが見つけ、そのうえでどのように進むかを考えるグループに変化を遂げました。そんな彼女たちが先日、自分たちが目指す方向を宣言したようです。しかし彼女たちはまだそこにたどり着く方法までは知りません。自分たちがどう向かえばいいのかわからない時、そこまでの歩き方のヒントを、自分が歩かせているもう一人の自分、キャラクターが教えてくれるのかもしれません。
また一人一人が安定を得た今、次なる課題はグループ、組織としての安定の他にありません。皆さんも自分はやるべきことが出来ているのになぜか全体として上手くいかないことや、全体として上手くいっているようでも個人への負荷のバランスがとれておらず、ある人間だけが頑張りすぎているような経験があるのではないでしょうか。そして私たちは、なぜか間違った情報をアナウンスしてしまう運営や、個々の活動の全てを負いきれないほど仕事が分岐するメンバーを目の当たりにしています。より大きなグループになるために今後自分で立つことができるようになった人間たちがどう肩を組めばいいのかをグループは見つける必要があります。そしてそれを支えるべくファンたちも、一人一人のファンでもなく、それぞれのメンバーが好きな集団でもなく、ナナブンノニジュウニを応援する一つの集合体になることが求められると思います。不特定多数の人間がある一つの意思になっていく、そんな終わりのない作業を割り切れない計算とともに続けていくのを、今後も楽しみにしたいと思います。
記事作成者:
まだ立ち方を探している人間のファン