五つの日記
2015年11月05日 時計を巻き戻す
3時過ぎに奄美空港に到着した。飛行機を降りると、むっとする熱気が全身を覆ってきた。あぁ ここはもう故郷なんだとようやく実感した。11月なのにまだ秋ではなく、ましてや冬でもない。夏の匂いをわずかに残し、昨日まで住んでいたあの海の向こうとは明らかに違う世界がそこにあった。
18でこの島を出て30年以上、故郷のことなど何にも顧みず好き勝手に生きてきた。気がつくと倍の時間向こうの世界にいた。変わりゆく僕があった。変わらぬ故郷があった。変わり続ける物と変わらぬ物、その二つの間に「時」だけが確実に刻まれていた。ただ、時だけがゆっくりと動いていた。
空港から乗ったバスの中で夢をみていた。
空を飛んでいた
小学校の上を
母が買い物帰りで家路についていた
空から大声で「かーちゃん!!」と叫んだが地上の母は気づかなかった
役場前でバスを降りた。時刻表を見ると、乗り換えのバスまではまだ時間があったので、役場に入った。転入届の手続きをする。ここには同窓が何人か勤めているはずだ。そんなに広くない館内、見渡してもそれらしき友は見当たらなかった。新しい住民票を受けとる。本日よりわたくし島っちゅです。
バスの乗り継ぎがいまいち分からず、ふたつほど乗りそびれた。7時ごろ家に着いた。
母が待っていた。
ただいま
かあちゃん
トゴラに掛けられている止まったままの時計はゼンマイ式の柱時計だ。
ギィー ギィー
と、左右にあるふたつの螺旋を巻いていく。長針をくるりと回して7時15分に合わせた。振子を指で軽く押した。
時間が静かに動きだした。
2015年11月07日 べんきょう部屋
龍郷の家はかなり古い。とにかく古い・・
「オモテ」のあるコンクリート造りの家はそうでもないが、繋がってる「トゴラ」と台所のある木造の方はかなり古くてガタがきている。台所の床はミシミシ軋み、柱も食器棚も油まみれ。風呂場の浴槽は使ってないらしく、埃や水垢がこびり着いている。母がかつて機織りをしていた部屋は天井に穴があいている。もう使ってない織機は埃をかぶり、その織機にぶら下がっている蛍光塔は点かず、掛けられた染糸たちがあちこちに散乱している。
トゴラはいつも母がテレビを見ながらくつろいでいる場所だ。ここだけは母は掃除をしているらしく、物がたくさん積まれている割にはとても綺麗に整頓されている。昔いた猫はもういない。母に訊くと「わからない」と返ってきた。
「オモテ」の奥には「トナリ」と「べんきょう部屋」がある。
兄弟4人、この3畳ほどしかない「べんきょう部屋」で遊びむんかげしたりわじわじしたり、ひっきゃぶったりたまに勉強したり、むじきられたりとぅらったり泣いたり、とにかく・・
壁を見ると「ラジオたいそうカードさげ」とマジックで書かれていた。よく見ると壁にはたくさんの落書きがあった。なんかの日付やウンコの絵、数字の羅列、ナイフで削った不明な図柄。あの頃、ぬぅんしゅま考えずに、それでも必死に一日一日を生きていた。全力で走っていた。まんげて擦りむいた膝を血まみれにし、雨に濡れて靴に溜まった泥水を頭から被って、お道化てわざと木から落ちて驚かしたり。
高校を卒業して兄がこの「べんきょう部屋」を、そしてこの家を出て行った。その次に姉ふたりが出ていき、最後に「べんきょう部屋」はぼくひとりのものになった。
ぼくだけの勉強部屋になった。
ぼくだけのべんきょう部屋になった。
そしてぼくもべんきょうべやを出ていった。
今、そのべんきょう部屋には蜘蛛の巣が張っている。古い布団がいくつも押し込まれ、ゴキブリの糞まみれの洋服箪笥が埃を被っている。着ない洋服の入ったビニール袋、何が入っているのかわからないダンボール箱。物置と化したべんきょう部屋。
ぼくだけのべんきょうべや
兄弟4人のべんきょう部屋
だれもいなくなった勉強部屋
母ちゃんの勉強部屋
だれもいないべんきょうべや
蜘蛛の巣だらけのべんきょう部屋
どうしようか
まずは掃除からはじめようか
それとも思い出にひたろうか
ひっきゃぶろうか
とぅでなさぬぅ
2015年11月09日 古い写真
龍郷の家は村のいちばん端にある。そして反対方向の端の方には教会がある。母は毎朝、村端の自分の家から村端の教会まで歩いて通っている。それが唯一の生きがいでもあるように。まぁそのおかげで足腰も弱らず腰も曲がらず、杖もつかずにしゃんと歩けるのだろう。
母はいつもトゴラで静かにテレビを見ている。観てるのではなく、ただ見ているだけだ。母との接し方がいまいちわからない。いまだにぎこちない。30年以上別々に暮らしていたのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。元々ふたりともあまり喋るほうではなかった。ふたりとも無口で会話もあまり弾まない。姉にそのことを言うと「母ちゃんは、黙っている『間』は全然気にしないから、別に喋らなくてもいいんじゃない?」と言う。
母はまだ痴呆症ではないが物忘れが激しく、昔のことは良く覚えているが、現在進行形はよく忘れるみたいだ。そして同じ事を何度も繰りかえし聞いてくる。「病院は明日だっけ」「玉子焼きと目玉焼きどっちにする?」「仕事は決まったかい」、何度も同じことを聞いてくる。
料理はあまりしなくなった。玉子焼きとか焼き魚とか、簡単な炒め物とか、すぐ出来るものは作るが、手の込んだ揚げ物や煮物はもう作らなくなった。
母は相変わらずトゴラでテレビを見ている。ただ見ている。老いは確実にきている。そしてその先にあるものも見据えなければならない。あの頃、母が年をとるなんて想像もしなかった。母ちゃんは母ちゃんのままで、いつまでも母ちゃんだった。
母ちゃんは相変わらずトゴラでテレビを見ている。
そんな母を見ているとなんだか悲しくなってきた。そして、母のことを悲しく思う自分自身が悲しくなってきた。
べんきょう部屋の掃除をしていたら、箪笥の中から埃をかぶった古いアルバムが出てきた。何冊もあった。埃を払い、古い記憶を一枚一枚捲っていった。一枚捲るたびにそこで思考が停止する。一瞬であの日のぼくに戻る。あの日のぼくがそこにいた。あの日の母がそこにいた。変わらぬ故郷がそこにあった。小学校の入学式、運動会、となり組の浜オレ、八月踊り、くじら浜での潮干狩り、叔母や従兄弟たち、てるゆきとまこと、三輪車に乗ったぼく、兄の結婚式、姉の中学時代。
それだけではない。母の結婚前の写真、父の若い頃の写真、父の兄弟たち、若いばあちゃん、ばあちゃんの友達、叔母と母、となりのイエおばさん、たかひろ兄、りことなぎさ、はるき君、いっこちゃん。ページを捲っていくたびに母と父の歴史が甦る。脈々と繋がる血がある。太古から続くこの島の大自然がある。そして自分の歴史がそこに交差する。
トゴラから母を呼んできた。そして山のように積み上げたアルバムを見せた。母は一番上のアルバムを手に取り、1ページ目を捲った。瞬間、「はっげー!!」と叫んでトゴラに駆けていった。『はげー』とは島の方言で、嬉しいとき悲しいとき喜怒哀楽をその激しい感情を、その一言に全てを込めた感嘆語だ。思わず自然に出てくる島の方言が「はげ~!」だ。
トゴラから戻ってきた母の顔にはメガネが掛けられていた。メガネに手を当てながら「はっげー!あっげー!」と繰り返す母。食い入るように写真を見ながら「これは隣のイエおば、これはまっちゃん、これが父ちゃんの若いとき」と息咳切ってひとりひとりの説明をしだした。
目を凝らして古い写真をひとつひとつ丁寧に見ていく母。
母ちゃんもあの頃に戻っているのだろう。
それにしても、ついさっきの事はすぐに忘れるのに、大昔のことはこんなによく覚えているもんだ。「この種オロシで兄ちゃんが六調踊った」「くじら浜に行く途中で足を滑らせた」「学芸会でじゅんぎがペンギンやった」と、「はげ~」と言いながら写真を見ている。
いつまでもいつまでも写真を見続ける母。タイムスリップしている母ちゃん。
そんな母を見てて、また何だか悲しくなってきた。そして嬉しくなってきた。
2015年11月15日 血を舐める
昨日は兄と一緒に、母を連れて2ヶ月に一度の病院へ行ってきた。この病院にかつて父は入院していた。そしてここで息を引きとった。思い出深い病院だ。母はもうすっかり慣れた様子で、院内に入ると「小便行ってくる」とトイレへと向かった。兄と僕はゆっくりと後を追う。
『もの忘れ外来』というのがあることを初めて知った。受付を終えるとすぐに呼び出しがあった。まず体温と血圧を測り、そのあと体重測定をする。そして、付き添って担当医との問診を行う。近況や身体的なこと、困った事などないか、等を担当医が丁寧に聞いてゆく。もう慣れたもんだと思っていた母は、でもやっぱり『病院』というものには緊張するらしく恐々と応えている。「最近イライラすることはありませんか?」「怖い夢などはみませんか?」という質問に、「いやー、そんなには・・」としか応えない。ぼくは隣でこんなんでいいのかなあ・・と思っている間に問診は終わった。
家に帰ると台所の掃除をした。
流しを開けて、乱雑に積まれた使われてない食器と鍋とゴミを出す。母が様子を見にやってきて手伝おうとする。「ひとりでやるから」と追い出すが、暫くするとまたすぐにやってくる。しかたないので食器洗いを母に手伝ってもらうことにした。よくもこれだけ放っておけるもんだと思うくらい、流しの中は汚れまくっていた。母は出された食器を風呂場へ運び、よっこいっしょ、と腰をおろし食器を洗いだす。
僕は流しの中を雑巾で拭いていく。ゆっくりとゆっくりと拭いていく。鍋やどんぶりがまだかなり残っている。
割れた食器で指を切った。
血はすぐには出なかった。じわりじわりと赤い点が膨らむ。それが少しづつ丸くなっていく。大きく膨らむ。そしてゆっくりと筋になって指の間を流れていった。僕は滴りおちる血をぼんやりと見ていた。母が「はっげー!」と言いながらやってきた。母は僕の指の血を舐めた。そして拭ったその指に傷テープを貼ってくれた。
2016年02月10日 誰かのために生きるということ
気がつけばいつも母のことを思っている。いつもいつでも母ちゃんのことを考えている。頭のほとんどは母ちゃんのことでいっぱいになっている。
龍郷に帰って3ヶ月が経った。相変わらず母との生活はぎこちない。いつまでたっても馴染めないし会話も続かない。しかし、ふと気がつくと、いつの間にかとても幸せな気持ちになっている自分がいた。
トゴラで母が寝ている。オモテで自分が寝ている。あぁ、いま母ちゃんと一緒に寝ているんだ・・と思うと、とても幸せな気持ちになっている自分がいた。
母のために特に何かやっているわけではない。楽しく話をしているわけでもない。ただ一緒に生活しているだけなのに、気が付くととても幸せな気持ちに満たされた自分がいた。
朝6時半に起きてシャワーを浴びにいく。まだ寝ていた母がその気配に気づいて目を醒ます。今日は何時に出るの?と横になりながら聞いてくる。僕がシャワーを浴びている間に、母は朝食の準備をはじめる。家を出るとき、帰りは何時?運転気つけてね、と僕を送り出す。夜10時過ぎに帰ると、すでに寝ていた母は目を醒まし、夕御飯は?と聞いてくる。僕がもう食べてきたと応えると、母は静かに眠りにつく。
そんななんでもない同じことの繰り返しばかりの母との生活が、とても幸せに感じる。