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大リーグの”本拠地大移動”の歴史


イントロダクション

 アメリカのプロスポーツは国土の広大さゆえに、日本では考えられない程に「本拠地移転」が頻繁に起きている。現在、ア・リーグ西地区のオークランド・アスレチックスがカリフォルニア州オークランドからラスベガスへ移転すると発表されたことが現地で波紋を呼んでいる。
 
大リーグは歴史の古さゆえに創設時から本拠地が変わらないチームもあるが(ヤンキース、カブス、レッドソックス)、1940年代まではアメリカ南部・中西部、そして西海岸はプロスポーツ空白地帯であった。そんな中、1950年代に差し掛かると、交通網やマスメディアの発展に伴い、アメリカプロスポーツの世界において”大陸大移動”が勃発するのである。

 今回は大リーグにおける「本拠地移転」の歴史を追ってみた。

1950年代

 1950年代、大リーグはナショナルリーグ(ナ・リーグ)・アメリカンリーグ(ア・リーグ)を合わせても今の約半分ともいうべき16球団しか存在せず、南限はワシントンDC、西限は中部ミズーリ州のセントルイスという状況であった。しかも本拠地とする都市の重複が多く、シカゴ・フィラデルフィア・ボストン・セントルイスにそれぞれ2チーム、ニューヨークに至っては3球団(ヤンキース・ジャイアンツ・ドジャース)という状態だったのである。

 そんな中1953年に、ボストンに本拠地を置いていたナ・リーグのブレーブスが、五大湖地域のウィスコンシン州ミルウォーキーへの移転を決断したのである。
 この移転が口火を切ったのか、翌54年にア・リーグのセントルイス・ブラウンズ(1901年の創設時はミルウォーキーを本拠地としていた)がセントルイスから東部メリーランド州ボルチモアへ移転し、ボルチモア・オリオールズに改称。更に翌55年には同じア・リーグのフィラデルフィア・アスレチックスがミズーリ州西部のカンザスシティへ移転した。

しかし、1958年にこれらを上回るショッキングな移転劇が(しかも2度)勃発したのである。ニューヨーク市に本拠地を置いていたナ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツとブルックリン・ドジャースが、それぞれカリフォルニア州のサンフランシスコとロサンゼルスへ移転したのである。特にドジャースはヤンキースをしのぐ人気と熱狂ぶりを誇っていたので、そのショックは計り知れないものであった(ブルックリンにプロスポーツが戻ってくるのはそれから54年後、NBAのネッツがニュージャージー州から移転してきた2012年のことである)。

アフリカ系アメリカ人初の大リーガーとなった、ジャッキー・ロビンソン。
ブルックリン・ドジャースの主力として活躍し、
1955年のワールドシリーズ優勝に貢献した。
背番号「42」は大リーグ全球団の永久欠番である。

1960年代

 ジャイアンツ・ドジャース移転の衝撃は首都ワシントンDCにまで波及し、1961年にア・リーグのワシントン・セネターズがミネソタ州ミネアポリス市へ移転し、ミネソタ・ツインズに改称した。

 これらの移転劇に見られる、地方の各都市のプロスポーツ需要の高まりを受けて、1961年にMLBは球団拡張(エクスパンション)を決断。同年、ア・リーグにワシントン・セネターズ(第2次)と、ロサンゼルス・エンゼルスが創設された。翌62年にはナ・リーグにニューヨーク・メッツとヒューストン・コルト45s(拳銃製造会社からのクレームで、アストロズに改称、後にア・リーグへ転籍)が創設された。

 このエクスパンションでしばらくひと段落したかに見えた。
しかし1966年、ミルウォーキー・ブレーブスが南部ジョージア州アトランタへ移転した。ちなみにロサンゼルス・エンゼルスがロサンゼルス(ドジャースタジアムに間借りしていた)からディズニーランドのおひざ元であるアナハイムへ移転したのもこの年である。
 そして1968年にはカンザスシティ・アスレチックスがカリフォルニア州オークランド
(サンフランシスコ近郊の港湾都市)へ移転した。

 1969年、大リーグ100周年を記念する年にMLBはさらなるエクスパンションを敢行する。ア・リーグにカンザスシティ・ロイヤルズ、シアトル・パイロッツ、ナ・リーグにサンディエゴ・パドレス、そしてアメリカ国外初の大リーグ球団であるモントリオール・エクスポズが創設された。(なおパイロッツは翌年にミルウォーキーに移転し、ミルウォーキー・ブルワーズとなった)

1969年のわずか1シーズンだけ存在した幻の球団、シアトル・パイロッツ。

1970-80年代

1970年代は60年代とは対照的に、比較的緩やかな動きであった。そして、1980年代はエクスパンションや本拠地移転が全く見られないという無風状態となった。

 1972年に第2次ワシントン・セネターズがテキサス州アーリントン(ダラス・フォートワース地域の中間部)に移転、テキサスレンジャーズとなった。これより30年近く首都ワシントンDCは大リーグ空白地帯になった。

 1977年のエクスパンションで、ア・リーグにシアトル・マリナーズとトロント・ブルージェイズが創設。

1990年代

 無風の80年代が「嵐の前の静けさ」と言わんばかりに、90年代に大リーグは2度のエクスパンションを行った。特筆すべきはフロリダ州とマウンテンタイムゾーン(アメリカ山地時間、日本より15時間遅い)への進出を果たしたことにある。

 1993年にナ・リーグにコロラド州デンバーにコロラド・ロッキーズ、フロリダ州マイアミガーデンズ(マイアミ郊外)にフロリダ・マーリンズ(後にマイアミ市内に移転し、マイアミ・マーリンズに改称)が創設。

 1998年にアリゾナ州フェニックスにアリゾナ・ダイヤモンドバックス、フロリダ州セントピーターズバーグ(タンパ湾地域)にタンパベイ・レイズが創設。

 これらのチームの中で特筆すべき事項として、マーリンズとダイヤモンドバックスが他球団の主力をかき集めて、球団創設から短期間のうちにワールドシリーズ優勝を果たしたことにある。特にダイヤモンドバックスは球史に残る名左腕であるランディ・ジョンソンを擁して、球団創設2年目でナ・リーグ西地区優勝。さらに右の剛腕カート・シリングを加えて投の二枚看板を形成、チームは球団創設4年目の2001年にヤンキースを4勝3敗で下し、ワールドシリーズ王者に輝いた。

2000年代以降


 時は流れ2004年、シーズン開幕前のオーナー逃亡などのゴタゴタでMLBのコミッショナーがオーナーを兼任するほどの経営難に陥ったモントリオール・エクスポズがワシントンDCへ移転。ワシントン・ナショナルズに改称。モントリオールに残されたエクスポズのマスコット「ユッピー」は、同市に本拠地を置くアイスホッケー・NHLの名門チームである「モントリオール・カナディアンズ」のマスコットに”転職”した。

野球からアイスホッケーのマスコットに転職した、「ユッピー」。
1979年にエクスポズのマスコットとして誕生してから現在に至るまで、
モントリオール市民に愛されているマスコットである。
ちなみにエクスポズ時代の1989年8月23日、
ホームでのドジャース戦で、
相手ダグアウトの上で踊ったりするなど
やりたい放題やった挙句、
マスコット史上初の退場処分を食らったことがある。

終わりに


 そして今年(2023年)、アスレチックスがラスベガスへ移転するのだが、実現すればこれが3度目の移転となる(ネバダ州議会で税金の拠出案が可決されたため、実質的に移転が決定した)。

 東海岸や五大湖に固まっていた大リーグが、交通網やマスメディアの発展などに伴い球団移転という手段で、それまで空白地帯であった西海岸進出を果たすチームが出てきたことにより、東海岸・五大湖以外の地域でのプロスポーツ需要が高まり、リーグ側もトップダウン型の球団拡張(エクスパンション)でそれにこたえる、という構図が生まれた。このことは北米の他のスポーツ(NFL・NBA・NHL)でも言えることであり、球団数を制限してきた日本プロ野球や、下部リーグの創設などで「下からの昇格」を促したボトムアップ型で発展したJリーグなど、日本のプロスポーツとの違いが伺えることがわかった。

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