見出し画像

151DAY ‐ダニエル書続き‐

 前回まで人間たちによる神への冒涜劇が展開され、それらの者と信仰深い人間との対比が描かれていたが、この後に続くダニエル書でダニエルが見ることになる幻にも、そういった人間による神の冒涜が行われるだろうと説かれている。自身を神とし、真の神を否定するものはそれ相応の罰を受けるし、逆に信ずるものは何が起ころうと神のご加護がある。

 自分は、このダニエル書を通して、なぜ人類は旧約聖書を信ずるに至ったかが少し理解できたような気がする。なぜなら単純に奇跡を文章化するだけでなく、歴史の事実や予言を交えた構成をしているからだ。当時起きた奇跡的現象よりも、当時から何が起きるか予言したことが書かれ、それが後世や現代に書物として残っていく。そしてそれらの記述を歴史と照らし合わせることでより信憑性が増すからである。当時どんな奇跡が起こったのか書かれてもこの目で観なきゃ信じない。それよりも歴史の歩みを人類の神への冒涜というキーワードと関連付けることで神という存在の蓋然性を高めているのではないか。さらにダニエル書における主人公の境遇も、えも言えぬ人間味というか運命を感じさせる。突如何かが街を襲い、自身は王の奴隷と化してしまう。これはキリストが起こす奇跡よりもよっぽど現実世界で起きやすい境遇である。

 ここでジョジョの奇妙な冒険第四部、岸辺露伴の言葉を引用してみる。

 「リアリティ」こそが作品に命を吹き込むエネルギーであり「リアリティ」こそがエンターテインメントなのさ。

 このダニエル書に関しても、他の聖書と比較しても、誰かが信仰していた宗教を奪われ、しかし信仰心をあきらめきれないというダニエルの何とも言えない「リアリティ」にあふれていると言えないだろうか。そしてその「リアリティ」あふれるダニエルの境遇に、死なない友人や狂ってしまう王様のストーリーを組み込むことでより神のすごみを伝えている。

(続くよ!)

 

いいなと思ったら応援しよう!