田舎の女子高生が知らないおじさんとバンドを組んだ話(1/2)
空気感を楽しみながらゆったり読んで頂く目的で書かれたエッセイです。
お忙ぎの方は日を置いてまたいらしてください。
東京で活動してるDragdownと言うメタルバンドでボーカルをやってる哀哭と申します。
この記事は田舎の芋くさクソ真面目ガキ女(当時18歳)がバンド結成を目指した頃を書いたエッセイです。(バンドの始め方を教える記事ではないよ。)
プチ失敗談多めで今となっては、あんなものはバンドじゃないと思ってる。お遊びの集まりでしかなかった。でも、
この記事の中ではあの頃の気持ちに戻って
敢えて「バンド」と呼んで書こうと思います。
そんな感じなん?って笑って貰えたら良いと思います。供養🙏
※ブログから変な人がやって来た事があるので念の為注意書きですがこれは10年以上も前の話です。書き手は今は怖いおばさんですよ。
この記事を書いている人の現在のバンド↓
来月バチバチの新曲出るからチャンネル登録でもしておいて!通知もちゃんとオンでな!!
● 何もない場所から!!
タイトルの通り筆者は群馬県出身です。
群馬県は田舎イジりの自虐ネタを沢山持っているので、なかなかにそう言うイメージを持ってる人はいると思います。
はいはい、まぁ大体そんな感じ。
でも田舎県と言えど北関東圏の中ではマシな部分がある。
高崎駅には新幹線が止まる。出張や社員旅行に訪れる人も多いと聞く。
私が最初にバンド経験を経たのはその高崎の街だ。
高崎の市街地から離れると、周辺には少し小さめな町がある。そこから更に、もっと奥の方に進んだ辺りに私の故郷はある。
小ぶりな山々が背後に聳える。
この山は小1時間で頂上まで登れる丁度良い山だ。
そこから流れ出る細い沢を中心に、昔から農家一族が田畑を開き住まう集落的な地区がある。
広大な土地という訳では決してない、それなりに閉鎖的な集落だ。
そんな場所から私がバンドをやろうと初めて動いたのは高校卒業間際の頃。
一般のバンドマン達と比べると遅い方だと思う。
聞けば周りで勢力的にちゃんと活動を続けている人たちは、
元々音楽一家で両親の影響で幼少期から音楽に触れていただとか、
物心つく前から父親のギターを弾いていただとか、
中学の小遣いでベースを買って貰っただとか、
高校の軽音楽部で初ライブをしたとか…
そう言う人が殆どだと感じる。
私はと言えば、4歳くらいの時のピアノ教室の幼少クラスとかで、ステージで歌ったり踊ったりする機会がちょっとあった程度。
なぜ突然バンドをやるに至ったのか理由は別の話になる。
家庭の事情で諦めなくてはいけない進学の事もあり、1番大好きで頑張って来た創作活動も出来ないような状態に陥った。
将来に失望して無気力のまま、引き摺られるような毎日を何とかやり過ごしていた。
その時に有り余った若い怒りパワーの捌け口としてマッチしたんだと思う。
流行りで表向きに流れている曲よりも、暗くて攻撃的で頭の狂ったバンドサウンドは最高に魅かれた。(バンドの曲あんまり知らんかったけど)
とにかくバンドとの接点が殆ど無いままやってみたいと思い至ったのが18歳の夏か秋か、そんな頃。
生まれ育った町には演奏ができる施設も無ければ、バンドをやってる人と会うこともなかった。
エレキ系の楽器とか良くわからないし、家は貧乏&学校はバイト禁止だから機材を揃えて使ってみるなんて事も出来ない。色々考える。
私が通っていた高校は高崎市にあった。家から電車込みで片道1時間くらい。
その学校では私の知らない所で軽音楽部を作ろうとした人がいたらしいが、部室が足りない・顧問も足りない・全校集会でロックミュージック禁止と怒られながら晒し者にされるなど色々あって結局叶わなかったようだ。
これで学校の部費で機材をレンタルする選択肢も無し。
これじゃ何もできない。
じゃあ取り敢えず歌でバンドに近づいてみるか。
歌、好きだし。
そう言う流れで、校外活動として高崎市でメンバーを探してみる事にした。
高崎市なら学校さえ出れば誰かいるだろうと思った。
今の感覚では高崎は地方の田舎って感じだが、親元離れて自立する前のガキにとっては
高崎はなかなかの〝シティ〟だったのだ!
-余談-
〝家庭の事情で諦めなくてはならない進学のこと〟
当時は美術系の進路を取りたいと思ってました。
その時は諦めたけど、結局そのあと自分で画集出したり
バンドのTシャツ描いたりロゴ描いたり…
本格的にバンド音楽へと舵を切った中で
なんやかんやそう言うことやってます。
このDragdownロゴTシャツはバッファローの部分は私が作画しました。(魔法陣とかは別の人)
頂いた売り上げは主にMV制作の資金にしてます!
●お兄さん(おじさん)と殺人現場で待ち合わせ…
私は先ずバンドメンバー募集掲示板に書き込みをしてみた。結果、返信コメントは何週間もずっと0だった。
高崎市の書き込みは数は少なかれど時々動いていたようだ。
今までバンド音楽に触れて来なかった事もあって、どんな曲をやりたいのか上手く書けなかった事が原因だと今なら思う。
せっかくのバンドで明るい曲調を歌うなんて反吐が出る!だから「どんなジャンルでもやってみたいです!」とは書けなかった。
なんか暗い曲がやりたいとか一生懸命書いていた。
伝わらないし、もし伝わってもメンバーいないと思う。
他の人の新しい書き込みはオリコンで上位を取るようなJ-ROCKとかJ-popな感じの流行りのやつばかり。
そりゃ蚊帳の外になるわ。
次に、当時検索で知ったバンドメンバー募集サイト「with9」に登録して募集記事を出してみた。
バンドマンには懐かしい響きですねw
とっても重いサイトだったんですよね。ガラケーで必死に募集記事を探した人もいると思います。
そこでは3件くらいジャンル違いのお誘いメッセージがちらほら届いた。
明るい曲調は嫌なのでスルーしていたら、
数日後の学校帰りに新しくメッセージが来ている事に気が付いた。
初めに掲示板に書き込みしてから何ヶ月か経っていた。下校中の寒いオンボロ電車の中で、分厚い赤いマフラーに鼻まで埋めながら読んだ記憶がうっすら残ってる。
内容は、どうやら30代男性がEvanescenceのカバーバンドをやりたいらしく、メンバーは揃っているのであとは女性ボーカルを探しているとの事。彼の名前はA井さん。
んー…10個以上も年上かぁ。
同年代と組む事をイメージしてたけど、そもそもこの手のジャンルで周りにバンドマン自体がいない。選択肢は無い。
ま、バンドで歌えるならいっか。
J-popではなさそうだなと適当な判断で、取り敢えず話をしてみる事にした。
その後は、A井さんが私の住みに近いと言う事で
カバー予定の曲が入ったCDを1人で車で持って来てくれると言う事になった。顔合わせである。
ここで想像してみて欲しいのだが
もし東京で顔合わせと言えば、その辺の適当なカフェあたりに入店してミーティングを行うのが当然だと思う。
その時私らが待ち合わせたのはなんと
畑だった。
正確には畑と林と真っ直ぐな道があるだけの場所。
(家に来られるのは嫌だったので…)
この辺りで1番大きな道との合流点を目印として口頭で伝えた。
だって、他に目印になるものが何もない。。。
当時はナビも当たり前ではなかったと思う。
時間は確か午後4時か5時くらいだった。
冬だから既に少し暗かった。
日中はとてものどかで清々しく開けたように見える場所でも、少し翳ると人気もなく街灯も少ない。
昔話などでは、日が暮れてから峠を越えようとすると人喰いの化け物が出るなんて話が良くある。
山は翳ると劇的に表情を変え、不気味で危ないのだ。、
因みに
周辺は私が生きてる間にも殺人事件と、他にも死体遺棄事件があった。
人目が無い理由で小学生は登下校時に通行禁止となっている道もあった。
そんな場所で待ち合わせとなった。
いよいよお兄さん(おじさん)と待ち合わせ!!
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