第11話 若く見られて困ってます【下書き再生第二工場】
金曜日の午後5時半。今日中に終わらせなければならなかった最後の仕事をなんとか終わらせて、俺は急いでスーツの上着を羽織りカバンを持って駆け足でオフィスを出た。そしてちょうどいいタイミングで走ってきたタクシーに乗ることができた。大阪駅近くの高級ホテルに向うように運転手に告げると、ようやくほっと一息つけてドアの窓越しに中の島周辺の景色を眺めた。
あと三十分後にマッチングアプリで知り合った女性とそのホテルの一階のカフェで待ち合わせをしていたので急いでいたのだが、何とか遅れずに済みそうだ。俺はスマホから相手の女性の名前やプロフィールをもう一度確認した。
こんな風にして女性と会うのは初めてだった。不安もあったが、もし恐喝目的だったとしても俺には強請られて困るようなことなど何もない。それにそういう目的ならばもっと手っ取り早く会える相手を探したはずだ。この人とはひと月以上もやり取りを重ねている。信用できるだろう。俺はそういう感には自信がある。
待ち合わせ場所のホテルには五分前に着いた。正面玄関前に停まったタクシーのドアをベルボーイが開けてくれた。なんとも恭しい仕草でドアマンがドアを開けてくれる。まるで国家元首にでもなったような気分になった。ロビー近くのカフェの前から周りを見回して、それらしき女性の姿を探した。
おそらくあの人だろうと思われる女性と目が合った。壁際の席に座っている彼女も俺のことを今日の待ち合わせの相手だと気づいたらしく、こちらを向いて軽く頭を下げた。俺は彼女のテーブルに向かった。
「瀬戸さんですか?」
彼女がはいと頷いた。
「吉岡です。はじめまして」
お互いに名乗りあって相手を間違えていないことを確かめ合うと、彼女はほっとしたかのようにほほ笑んだ。
「この後レストランを予約しているんですが、少し時間に余裕があるので僕もコーヒーを頂いてもいいですか」
彼女が頷いたので俺はコーヒーを注文した。
♢
「驚きました」
俺は彼女の顔を見ながら本当に驚き、また戸惑っていた。若く見られることが多いと彼女からは聞いていたが、それにしても予想以上に若く見えた。
「何がですか?」
彼女は俺の答えを聞きたくてたまらないというような表情をみせて、少しだけ首を傾げた。
「いや、若く見られるとはお聞きしていましたが、これほどお若くみえるとは」
彼女は相変わらず微笑みを崩さないまま、そんなことはありませんとでも云う風に首を振った。落ち着きのある仕草や表情からは、事前に聞いていた年相応の落ちつきを確かに感じさせた。
「じゃあいくつに見えますか」
女性からこう聞かれるとなんと答えればいいのかいつも悩む。先輩からは予想よりも五歳若く答えろと言われたことがある。でも、目の前にいる彼女にその法則は当てはまりそうにない。だってどう見ても十代に見えるのだ。
「そうですね、二十五歳ぐらいかな」
とりあえず適当に言ってやろうと決めて、無難そうな年齢を口から出まかせに言った。だが、どう見たって大学生、いや高校生ぐらいにしか見えない。
すると彼女は少し驚いた顔をして、だが心なしか嬉しそうな様子で言った。
「二十代って言われたのは初めてです。いつもは十代って言われることが多くて」
「いや、分かります。僕も最初はそう言おうと思ったんですが、それも失礼かなと思って」
彼女が小さく笑った。最初に会ったときのどことなくぎこちなさを感じさせた笑顔に比べると、随分柔らかい笑顔になってくれたような気がした。
♢
予約していたレストランにタクシーで向かい、それから二人でワインを飲んだ。時間が進むにつれて彼女もだいぶ寛いだ様子をみせるようになった。
「瀬戸さんはこういうアプリで男性と会われるのは何度目ですか?」
「吉岡さんで三人目です」
彼女がグラスを口元に寄せた。細めのくちびるのその口元に小さなホクロがあるのが見えた。
「吉岡さんは私で何人目なんですか?」
「じつは瀬戸さんが初めてなんです」
ふーんとでも言わんばかりに彼女は俺の顔を見つめてニヤニヤした。まるで姪っ子にからかわれているような変な気分になった。
「吉岡さんって女性扱いに随分慣れてらっしゃるみたい」
「まあ、僕も一応三十代ですから」
目の前に座っている彼女をみていると、とても俺より五つも年上には見えない。彼女からすれば俺は弟みたいなものなんだろうか。でも俺からすれば彼女なんて妹どころか姪っ子のようにしか思えない。どうにも調子が狂ってしまう。
「でもね、若く見られるのも困るんです」
俺は彼女のグラスにワインを注いだ。彼女は上品な所作でグラスを口元に寄せ、グラスにくちびるをつけた。グラスの中のワインが少し減り、グラスの縁に彼女の口紅の跡がついている。
「それが何故困るんですか?」
たしかにここまで若くみえると困ることもあるだろうと思えた。だが一応訊いてみた。どんな答えが返ってくるのか楽しみでもあった。
「私はお姉さんぶりたいんです。ところが実際に私とお付き合いされる方はみんな私を妹のように扱うんです」
「じゃあ年下の男性と付き合えばいいのではないですか?」
「それが年下の男性ですら私を妹のように扱いたがるんです」
彼女を見ていたらそれも無理のないことだと思った。誰が見たって彼女が三十代後半だなんて思わないだろう。でも女性はみな若く見られたいしそういう風に扱われたいのだろうと思っていたから、彼女の言葉に興味が湧いた。
「でも吉岡さんは年上の女性がお好みなんですよね?」
「まあ、そうです」
とはいえ年上でなければ嫌だというような拘りはない。若かろうが、年配だろうが魅力的な人はいる。年齢は結構あてにならないものだ。
彼女は少し酔いが回っているように見えた。
「私はお姉さん側になって男の人によしよしってしてあげたいんです。ばぶーとか言ってもらいたいんです」
「ああ、そっちですか」
頬をほんのりと赤く染めて子供っぽい口調で話す彼女はそれなりに幼くも見えて、それはそれで魅力的だと思った。
「はい。ところがみんな私にお兄ちゃんと呼ばせてランドセルを背負わされたりスクール水着を着せられたり、でもそれはわたしの役目ではないんです」
これだけ若く見える彼女をみればそういう気になるのも不思議ではないと思った。俺は男の前でランドセルを背負わされて恥ずかし気な素振りを見せる彼女の姿を想像した。魅力的だろうが興奮はしない。
「じゃあ私がお姉さん役をやりたいと言えばいいのでは?」
「それが、相手の人の嬉しそうな様子を見ているとなかなか言えないんです。でも」
「でも?」
「年下扱いされるのは私の本来の役目ではないんです」
♢
レストランからホテルに向かうタクシーの車内で彼女が訊いてきた。
「吉岡さんは私がお姉ちゃんになるのと妹になるのと、どちらがご希望なの」
正直に言ってしまえば俺は彼女とセックスさえできるのならばどっちでもよかった。
「こんな幼く見える私をみて、がっかりしたでしょ」
「いや、そんなことはないですよ」
慌てて否定はしたが、そんな気持ちが少しだけあったのも事実だった。俺はどちらかといえば成熟した女性の方が好みだったし、彼女はあまりにも若く見えすぎた。だが決して魅力がないわけではない。むしろ不思議な魔性を感じさせた。
彼女が俺の目をみた。彼女の瞳は潤んでいるようにみえた。
「じゃあ、わたしにお姉さんをやらせて」
♢
ホテルの部屋に入ってすぐに俺たちは熱い抱擁を交わし、くちびるを重ねて互いのくちびるの感触を確かめあった。カーテンを閉めていない窓からは堂島周辺の夜景が見えた。
俺は思わず彼女をベッドに押し倒して彼女の着ているニットをまくり上げた。それ程大きそうには見えない乳房を紺色のブラジャーが包みこんでいる。
「ちょっと待って」
「なんで?」
「焦らないで。シャワーを浴びて着替えましょう」
そう言って彼女はベッドから立ち上がると俺の目の前で服を脱ぎバスルームに入った。下着だけの姿になった彼女の身体はまだ十代のような、年相応に熟れていない瑞々しさの残る身体だった。
彼女がシャワーを終えてバスタオルを体に巻いてバスルームから出てきた。俺も彼女の次にシャワーを浴びにバスルームに入った。まさかこの間に財布を盗んで出ていったりしないだろうなと思いかけたが、だったらどうしたと思った。そうであったとしても別に構いはしない。彼女を信用した俺がバカだったというだけのことだ。
俺はシャワーを終えて部屋に戻った。暖かみのある色の明るすぎない照明が柔らかく灯る部屋で下着姿の彼女が立っている。柔らかい照明が彼女の胸や股間の膨らみの辺りに立体的な影をつくり出して、女性の体つきらしい柔らかな丸みを演出していた。
「あなたはこれに着替えて」
彼女が俺に渡した紙袋の中には幼稚園児が着ているような水色の制服が入っていた。まさか34歳にもなってこんなものを着せられるとはなと心の中で呟いた。
やれやれと着替えながら、ふいに彼女の方を振りむくとそこにはセーラー服姿の美少女が立っていた。
「あっ!瑞希ちゃん!」
俺は思わず声を上げた。目の前に立っているのは俺が幼かった頃によく遊んでくれた隣の家の中学生だった瑞希ちゃんそのものだった。
「これが私の本当のチカラなの。私を年下扱いする男性には見せられないの」
彼女は俺の目の前に立って、俺の頬を撫でた。
「私は相手の男性の初恋のお姉さんになれるのよ」
何が起きたのか理解することが出来ず呆然としている俺の頬を撫でながら彼女が言った。
「だから年下扱いされたら困るの。困るというか、本意ではないの。私を年上のお姉さん扱いしてくれるひとが相手だったら私はその人の初恋のお姉さんになれる。それが私の役目。吉岡さんは私を初恋のお姉さんだと思ってくれたのね。嬉しいわ」
彼女は俺に口づけをした。彼女の舌が俺の口の中に入ってこようとした。
「いや、違う」
きょとんとした顔で彼女が俺を見た。
「違うって、何が?」
「俺が瑞希ちゃんにしてほしいのはそんなことじゃない」
そうだ。瑞希姉ちゃんは俺とのキスでいきなり舌を入れてきたりなんかしない筈。多分だけど。
「なんで?初恋のお姉さんとセックスできるなんて嬉しくないの?」
俺は彼女の目を見つめた。彼女の茶色の瞳に黄色い帽子を被り幼稚園児になった俺が映っていた。
♢
俺達は月明かりの下で、ブランコを漕いだ。
オフィス街の片隅にあるそれほど広くない深夜の公園で、瑞希ちゃんの髪が風になびき、風に捲れそうになったスカートから白い太ももが覗いていた。
これが初恋っていうものだろう。俺は満面の笑顔でブランコを漕いでいる瑞希ちゃんを見つめた。
深夜の公園で俺たちは鬼ごっこをしたりかくれんぼをして遊んだ。二十年ぶりに再会した瑞希ちゃんは記憶の中のままの優しくて陽気な中学生の瑞希ちゃんだった。
♢
そのあと俺達はホテルに戻ってベッドの上で混じり合った。結局やるんかいと俺は思わず自分にツッコミを入れた。
でもセーラー服を着たまま淫らな姿を晒す瑞希ちゃんはもう中学生ではなく、三十代の熟れて妖艶な瑞希ちゃんに姿を変えていた。そんな彼女を見ながら、こんな種類の願望も初恋の中に含まれているはずだと自分に言い訳した。
ふと時計をみた。朝の4時だった。もうすぐ空が藍色から薄い青色へと変わっていく。そして夜が明ける。
ばいばい瑞希ちゃん。
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