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第24話 あなたのスキを数えましょう【下書き再生第二工場】 


 仕事を終えての帰り道、混み合った電車に揺られながらふと、今日も妻は不機嫌なんだろうかと思った。結婚して十年目になる私たちの夫婦関係は昨年あたりからなんだか居心地の悪いものになっていた。さほど親密なわけでもない隣人の玄関に立っているほどの居心地の悪さではないにしろ、何となく気まずい空気を感じることが増えた。理由ははっきりしない。だが、きちんと向き合う必要があるということだけは分かっていた。

 ただいまと言いながら玄関のドアを開けてリビングに入ると妻がテレビを観ていた。

 「ただいま」

 妻から返事は無い。そしてやや間が開いてから俺の方に振り返った。

 「食べるものならテーブルの上にあるから好きなようにして」

 妻はそれだけ言って再びテレビを観た。俺はベッドルームに入り、スーツを脱いでスウェットのルームウェアに着替えてからリビングに戻った。それからテーブルの上にある野菜炒めをレンジに入れ、ガスコンロに置いてある味噌汁を温めながら冷蔵庫からハイボールを出してコップに注いだ。リビングには妻が観ている韓国ドラマの韓国語のセリフが流れていた。なんだか鶴橋の定食屋で一人さみしく食事をしている気分になった。

 「なあ、話がある」  

 思いきって妻に声をかけた。  

 「話って何?」

 妻はこちらを振り向きもせずに応えた。まあこっちにこいよ大した話じゃないかもしれないけどさ、と言いながら妻を呼ぶと意外と素直に妻がテーブルの向かいに座った。

 「なに?話って」

 無表情のままで妻がいう。俺はそんな妻の顔を見ながら相変わらず可愛い顔をしていると思った。いくつになっても俺はこの顔が大好きなのだ。少しばかり短気ではあるけれども思いやりだって充分にある。俺のお袋とも親父とも上手くやってくれている。百点満点の妻だと思う。

 「ねえ、なによ、話って」

 妻の口調が厳しくなったので俺は一瞬うろたえたが、きちんと話し合うなら今がいいんだと思い直して妻の顔をじっと見つめた。

 「いや最近全然会話がないだろ。それも嫌だなって思ってさ」

 妻は黙って聞いている。

 「昨年ぐらいまでは君がよく喋ってたじゃん。それがいつの間にかすっかり喋らなくなったからさ、何故なのか気になってな」

 無言で聞いていた妻が椅子から立ち上がった。そして冷蔵庫を開けて発泡酒を取り出して戻ってくると、その発泡酒をグラスに注いでグッとひと口飲んだ。

 ふう、と一息ついてから妻がゆっくりと口を開いた。

 「そりゃあ私一人だけがずっと喋っているのにあなたは面倒くさそうにしていたからよ。だからもう私はあなたには話しかけるのが面倒になったの」

 妻の言うとおりだ。ぐうの音も出ない。たしかに俺は妻に甘えていた。それは間違いない。

 「そうだな。言われてみればたしかに君が言うとおりだよ」

 俺はそう言いながら妻の顔をみていたか、どうにも妻はこの話題に関心がなさそうにみえた。きっと俺とこんな話をするよりもさっきまで観ていた韓国ドラマの続きが観たいに違いない。

 「俺が悪かったから、以前のような明るくてお喋り好きな君に戻ってくれないか。その為には俺はどうしたらいい」

 「それはあなたが考えなければならないことじゃないの」

 ぴしゃりと妻が言い放った。まるでダーツの矢のようにスッと放たれた妻の言葉が胸に刺さった。

 でもただ単にご機嫌をとるだけでは駄目だろう。何かをプレゼントするとかそういう問題ではない。それだけははっきりしていると思った。だがすぐには答えが見つからない。俺の顔には困惑の色が浮かんでいたはずだ。

 「褒めて」

 そう一言だけ妻が呟いた。

 「とりあえず褒めて。美味しいとか、ありがとうとか、可愛いとか。そんなの当たり前のことじゃない」

 ガツンと頭を殴られたような気がした。それと同時に、いくら俺でもその位のことは言っていたはずだと思い直した。

 「俺はそんなことも言ってなかったのか?それぐらいは言っていたよ」

 俺は弁解したが、どうにも自信がもてないのも事実だった。自信がもてなくなるということは、その程度の言葉すら粗末にしていたということなんだろう。そんな風に自信を無くしうろたえる俺を見て妻がたたみかけてきた。

 「あなたは言ってないわよ。あなたはそういうことすら言わない人なの」

 完全に分が悪い。もともと俺に問題があるのだろうとは思っていたが、ちょっとの話し合いで解決する程度のことかも知れないとも思っていた。完全に俺が甘かったのだ。

 「でも心の中ではいつも君に感謝してる」

 苦し紛れにそう言ったが、却って逆効果だったかもしれない。

 「心の中だけじゃ駄目なの。言って」

 家では一言も話さなかった親父を思い出した。だから夫なんてそれでいいと思ってた。 

 「それじゃあ駄目なのよ。そうしたければお義母さんと結婚しなさいよ」

 「分かった。全部俺が悪かった。ごめん。謝るよ」

 そう言いながら妻の顔をみた。あからさまにまだ言い足りないという顔をしていた。たしかに妻の言うとおりだと思う。会社でもそうだ。新入社員に対してきちんと挨拶しろと口酸っぱく言い聞かせてきたのは俺自身なのだ。職場でたいせつなコミュニケーションが家庭で疎かにされていい訳が無い。

 「とりあえずいまからきちんとありがとうっていう。君から話しかけられても無視しない」

 妻が真剣な眼差しを俺に向けている。俺はたじろぎかけて思わず目を逸らしそうになる。

 「それはするのが当たり前の話だから、私たちの仲を修復したいのならそれだけじゃ足りない」

 これ以上妻が望むことってなんだ。料理や家事云々だろうか。ならば俺だって出来る限り協力しているはずだ。そう思いながら妻の顔をみた。

 「あとどうすればいい?」

 俺は妻に訊ねた。そして妻が答えた。

 「私のことが好きだって毎日言って」

 分かるよ、分かる。それがとても大切なことだというのは分かってる。でも正直言うとそれはハードルが高い。そういうことは日本人男性が一番苦手としていることだ。

 「言うの?言わないの?言えないなら言わなくてもいいのよ」

 予想していた以上の妻の剣幕に思わず押された。

 「いや、言うよ。必ず毎日言うよ。約束する」

 咄嗟ではあったがそう返すと、妻の表情が少し柔らかくなったような気がした。

 「スリッパを履くみたいに簡単に言わないでね」

 わかってるよと思いながら何度か頷いた。そのことが妻にとってもそれほど大切なことだったのかと改めて知った。同時に世間一般の夫は毎日毎日妻に愛してるよと伝えているのだろうかと誰かに確かめたくなった。そして妻はまた真剣な眼差しに戻って俺の顔をじっと見ていた。

 「スキ一回で1ポイント」

 唐突に妻が言った。

 「なんだよポイントって」

 いきなりポイントなんて言われても分からない。妻は真剣な顔をしている。

 「あなたのスキを数えるのよ。そして半年後の四月の二十日までに五百ポイント貯めることが出来なければ」

 「出来なければ」

 出来なければどうなるというのか。まさか離婚なんて言いだしたりしないだろうかと不安になった。

 「あなたは私のことを中宮うさこ様と呼んで死ぬまで私に仕えなさい。そしてあなたはからあげ式部レッドとなって死ぬまで私にこき使われるのよ。いいわね」

 なぜからあげなんだろうと疑問に感じたが、くずかごの中に捨てられているからあげくんレッドのパッケージを見て合点がいった。

 「でも待ってくれ。君のことを中宮うさこ様と呼ぶのは全然かまわないけど、からあげ式部レッドはやめてくれないかな。せめてからあげ式部にして欲しい。たのむよ」

 「じゃあからあげ式部でいいわよ」

 しかしてっきり離婚とか言われると思っていたからほっとした。からあげ式部と人前で呼ばれるのはさすがに嫌だが離婚されるよりはいい。それに半年で五百回スキと言えばいいのなら一日三回ということになる。なにより俺は妻を愛している。これならば簡単だとおもった。

 「そしてあなたのスキが本当に心からの好きかどうかは私がジャッジするから。だから言えばいいっていうもんじゃないからね」

 「分かってる。大丈夫だよ。きっとこれで俺達は上手くやっていけるからさ」

 「そして半年後に無事に五百ポイントたまったら、私を韓国のソウルに連れていくこと。一緒に行くんだからね。いい?」

 一年後、俺は酷暑の中を中宮うさこ様お気に入りのコンシーラーを買うために百均巡りをしている。あまりの暑さに倒れそうになりながら、まだかまだかと中宮様からの督促のLINEが鳴りやまない。俺が言葉にしたスキが有効か無効かのジャッジを中宮様に委ねた時点でこうなることは決まっていたのだろう。

 駄菓子菓子、家に帰れば女王様ならぬ中宮様がいて毎晩責められるのも悪くない。そして今から帰宅したらどんなお仕置きが待っているのだろうと想像したら興奮がとまらない。そして俺は期待に胸を膨らませながら強い西日が差す中を急いで家に帰った。

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