#4 開発の根本的な本質を見抜き、信頼を得る
こんにちは。
中村哲記念講座で受講者かつTAをしております、O.Iです。
中村哲先生記念講座は、今年度より九州大学に新設された講座です。九州大学医学部のOBであり、長きにわたってアフガニスタンとパキスタンにて、医療活動、灌漑事業など現場に根ざした支援活動に尽力された中村哲先生の生き方にふれて、中村哲先生がやってこられた仕事の意味を理解し、それと同じ意味をもつことを自分がするにはどうすればよいかを、講演やグループワークを通して考えます。
講座の概要の詳細はこちらをご参照ください。
今回は記念講座の第3回の様子をお届けしたいと思います。第3回は60分講演、30分質疑応答という構成で行われました。
1. 清水展先生のご紹介
今回、講師を務めていただいたのは、中村哲医師を心の師とし、福岡市民であることの誇りは「ペシャワール会と中村哲医師」と語る関西大学政策創造学部の特任教授の清水展先生です。
清水先生は、文化人類学者です。1977年にフィリピンの西ルソン・ピナトゥボ山麓で先住民であるアエタ族に関する長期のフィールドワークを始められました。その後、活動地であるピナトゥボ火山が噴火したため復興支援の活動もされながらアエタ族の避難状況や噴火前後の暮らしをまとめられました。マニラから離れたこの地域でもグローバル化は進み様々な国へ出稼ぎに行くようになり、Grassroots(草の根)レベルでもグローバル化(Globalization)が進んでいます。清水先生はこの経緯を詳細に分析し、草の根のグローバル化のダイナミズムを解明されてきました。また、清水先生は東京大学助手、九州大学助教授・教授、京都大学教授を経て、現在は関西大学政策創造学部特任教授です。これまでの研究の成果が評価され、2016年に第11回日本文化人類学会賞、2017年に第107回日本学士院賞を受賞されています。
国外でもフィールドワークを重ねられた清水先生ご自身の豊富なエピソードとともに、「中村哲先生の事業の世界史的意義」というタイトルでご講演いただきました。
2. 講演の内容
文化人類学者・中村哲
文化人類学は、異なる言語・文化を生きる人たちの「違い」と「同じ」を研究する分野です。この分野ではいわゆる「頭の良さ」よりも「頭の悪さ」、「鈍感さ」などが求められ、異文化の中でも、無事に元気で現地で長期的に暮らして分かったことをまとめる学問だと清水先生は話されます。まさに、中村哲医師は現地での知見や見分から冷静に日本文化を見つめ、学問上のみでは分かり得ないことを中村先生ご自身の言葉で表現されてきました。一見、中村哲先生の医師や灌漑事業のイメージとは異なりますが、中村先生は文化人類学者としても多分な能力を発揮されていたのでしょう。現に、福岡アジア文化大賞を文化人類学者として受賞しています。清水先生が授業内で紹介された文化人類学者・中村哲の言葉を1つご紹介させていただきます。
郷土九州は今やトウキョウの植民地と化し、トウキョウの金で蹂躙(じゅうりん)されている。関門海峡を封鎖せよ。九州にはまだ自然も人情も食べ物もある。東京都と心中することはない。郷土防衛のためにアジア諸国と手を結び、九州解放戦線を結成し、東京とワシントンを撃て!」。(中村1989『ペシャワールにて』)
この言葉は、中村哲医師が1989年、ペシャワールでの医療活動に本腰を入れた時で、さらに日本がバブル経済の時のものです。日本のGDPの泡銭を支出するとアメリカの領土の半分を購入できると言われていたときに、「東京とワシントンを撃て!」という言葉を残しました。私は、東京などで新しいものを取り入れていき、古きよきものが失われることを憂慮し、特に中村医師ご自身の故郷・福岡を憂いた言葉であると推測し、さらに、世間が是とするものにとらわれず、外国から見た日本を鋭い言葉で批評したと感じました。
近代史と中村哲医師
講演の内容は、「私たちが生きている今の時代について」に移ります。 清水先生は、今の時代は欲望が変化を巻き起こす時代だと初めに話されまし た。さらに、清水先生は4つの重要な視点を挙げられました。
1. グローバル化の進行
2. ネオリベラル(新自由主義)経済の世界包摂
*ネオリベラリズム:国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想。国家により富の再分配を主張する自由主義や社会民主主義と対立する。
3. 地球環境問題の深刻化
4. AI(人口知能)の急速進化
また、上記の4つの重要な点をもつ戦後からの現在に至るまでの時代について話は移ります。さらに、これまでの時代に関しても清水先生は3つに分かれると話されました。
1. 東西冷戦の時代
戦後の体制間競争(自由主義対社会主義・共産主義)のもとに、「やられたらやり返す」といった恐怖の均衡が国際関係にももたらされる。一方で代理戦争は起きる。
2.アメリカ独り勝ちの時代(1989~2000)
冷戦が終わり、社会主義諸国が次々と倒れていき、戦後の体制間競争に終止符が打たれる。特に象徴的であるのは、1991年ソビエト連邦の解体。よって、アメリカ(自由主義)の独り勝ち。
3.アメリカの凋落?中国の台頭[!?] (2001~)
アメリカの独り勝ちは終わる。中国がWTOに加盟し、世界の工場としての役割を果たし、貿易の面で重要な役割を担うようになる。また。9.11テロが発生し、世界は多極化する。これらは2001年に発生したもの。
上記を踏まえたうえで、清水先生は中村哲先生の活動と重ね、中村哲医師の活動の世界史的意義があると話されました。
以下に、簡潔に中村哲医師が主に活動されたアフガニスタンの近代史概念を示します。
1973年 王政が倒される。新たに、アフガニスタン共和国が誕生
1978年 アフガニスタン人民民主党(社会主義系)の軍事クーデター発生。イスラム系の国民は無宗教であるソ連の共産主義は国の文化・風習に関連しないことや軍事クーデターによるクーデターは正当性を持たないことから反対し、失敗する。人民民主党側がソ連に助けを求める。
1979年12月24日 ソ連はアフガニスタンへ軍事侵攻を開始。この時期は冷戦期で、体制間競争の真っただ中であったことから、アメリカはソ連と戦うムジャヒディーン政権を全面的に支援(軍事的にも)。ソビエト衰退の始まり。
1983年 中村哲医師アフガニスタン派遣 戦争真っただ中
1989年 アフガニスタンから撤退。ムジャヒディーン政権からタリバーン政権が誕生。さらに、アルカイーダ(パキスタンとアメリカが育てたゲリラ部隊)も誕生。
2001年9月 アルカイーダが9.11テロ
2001年10月にはアメリカが報復爆撃(テロ首謀者を差し出すことにアフガニスタンが政治体制上すぐに対応できなかった)
アフガニスタンに8万人強、イラクに4万人強の駐留米兵
2021年9月 アフガニスタンから米軍完全撤退予定
清水先生は、アメリカがアフガニスタンに突入したのか疑問視され、また、ベトナム戦争と同じことだと話されていました。
最後に
清水先生が、授業中で何度も口にされた「中村哲先生の活動の世界史的意義」について。アメリカやソ連の体制間競争に代理戦争といった形で巻き込まれたアフガニスタン、中東は、「開発」といった形でも巻き込まれました。開発には、無償援助と借款的援助がありますが、ほとんどの開発は博愛主義に基づく借款的援助だと話されました。アメリカはトルーマン元大統領の下で、戦後は「開発」をもとに体制間競争をしていくことを公にしていました。その中で、中村哲医師は、開発とは何か、誰のために、何のために開発をするのか、そして具体的に何をするのかを現地に身を置いて実行されていきました。例えば、マドラサ(ウラマーを養成するイスラーム世界の高等教育機関)の学校を作り、現地のイスラム文化に根ざした自己利益を一切考えない、援助をされました。これは現地からの要望によって成り立ったものでアフガンの人に中村先生の「開発」の意図が伝わるきっかけとなりました。清水先生は、講演の締めくくりに学生に考えてもらいたいこととして以下の点を挙げられました。
中村哲医師が常に問いかけてきた開発とは何か、何のために、誰のために、そして方法は妥当なのか。また、中村先生が語ることの背景には、常に近代世界の成り立ち、それを支える力がどこにあり、根本的な疑問、不信、疑念がある。今ある「こうではない世界」を構想する、模索すること。
さらに清水先生は、上記を心の師としても仰ぐ中村哲医師のメッセージだと受け取り、学恩は計り知れず、まっとうに生きてくることができたのは中村哲医師のおかげだと締めくくられました。
3.質疑応答
講演後、受講生からの質疑応答の時間を清水先生にとっていただいたので、一部をご紹介します。
Q1 2001年のアフガニスタンの大干ばつと9.11テロのアメリカの報復が重なったときに、中村哲医師は日本で講演会を行い、寄付金を1億円以上集めた。当時は日本も西側諸国側で世論もアフガニスタンを「悪」とみなしていたと推測される。しかしながら日本で1億円もの寄付金を得た。何が、それを可能にしたと考えるか。
A1.10年以上の経験を言葉で表した中村先生の言葉は重要なものである。ペシャワール会報には彼の重要な信頼できる言葉がたくさん示されている。さらに、中村哲医師の信頼ではないか。ペシャワール会は寄付金を他のNGOと比較してほとんどを現地で使用することができている。そのようなことや、言葉が人々を信頼させるに足るものとなったのではないか。
Q2 学問をする私たちにどういう姿勢で学んでいってほしいというメッセージを中村哲医師は残したと思うか。
A2 経済学など学問では物事をマクロな視点で見ることが多い。中村哲医師は、現地の伝統的な技術などを用いていった。結果、学問上では分かり得ないことをしてきた。文化人類学の観点からも言えることだが、個別具体的に考えてくることなどが大事だ。
4.次回予告
以上が第4回の講座内容になります。清水展先生、御多忙のところ九州大学までお越しいただき、ご講演いただき大変ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
第5回になる次回からは、予習で読んできた中村哲医師の著書を基にクラス内で、話し合いに入ります。私は一受講者でありますが、新型コロナウイルス禍でも提供していただいた貴重な機会を逃さぬよう、有意義な話し合いができればと考えています。
では、また来週!