エネルギー保存則から考えるスピリチュアル
こんにちは、理系スピリチュアリストDr.mokuです。
一番最初の記事はエネルギー保存則について書こうと思います。
自然科学の世界で無意識に前提としている法則はなんなんだろうと考えた時に、僕が真っ先に思いついたのが
「エネルギー保存則」
なんですね。
エネルギー保存則というのは、とてもざっくり説明すると、
「使ったらその分だけ減る」
ということです。
例えば、電池に豆電球をつなげている状況を考えてみましょう。
小学校の時にやった方もいるかもしれません
電池に豆電球を繋げれば、豆電球は光ります。
電池の中の化学エネルギーが光エネルギーに変わったと物理では考えます。
そのままずっとつなげていたらどうなるか?
電池が切れて豆電球は光らなくなります。
電池の中に溜めてあった化学エネルギーが全て光エネルギーになった瞬間です
これがエネルギー保存則です
ずっと光り続けさせることができる電池はないのです。電池に溜めてある分しか光らせることができないとも言えます。
エネルギー保存則があるからこそ、スマホに充電のパーセント表示ができるのです。
自然科学というのは、このエネルギー保存則を前提にして考えられたものです。
さて、このエネルギー保存則ですが、本当に正しいのでしょうか?誰かが証明したことなのでしょうか?
これについてはさまざまな見解があるとは思いますが、Dr.mokuは証明されたものではないと考えています
(そもそも、自然科学の世界で何かを「証明」することはできないと僕は考えるのですが、それはまたどこかで)
むしろ逆で、
「エネルギー保存則が成り立つ現象を自然科学では考えることにしましょう」
という取り決めをした
と考えています。
さて、では、エネルギー保存則が成り立たない現象というのはあるのでしょうか・・・??
「エネルギー保存則が成り立たない現象ってあるんですか?」と自然科学に聞くのは野暮です
なぜなら、自然科学はエネルギー保存則が成り立つ現象しか対象にできないからです。「それは担当外なのでわかりません」ということです。
もはや、我々にはエネルギー保存則が成り立たない現象があると示す手立てはないのです。
さて、視点をスピリチュアルに動かしてみると、スピリチュアルな現象というのは時にエネルギー保存則を破っているものがよくありますね。
「使ったのに減っていない」というようなことをイメージしていただければ良いかと思います。例えば、無条件の愛とか。
こういうスピリチュアル的な物事を科学の文脈で語ろうとする向きが、スピリチュアル界隈では人気を得ていますが、これも野暮なことです。
自然科学というのは、「使ったら使った分だけ減る」という世界を記述するための言葉なのであって、そうでない世界を記述することはそもそもできないのです。
おそらく、スピリチュアル世界の方々はここまで読んで「スピリチュアルが否定された!!」と感じる方もいるかもしれません。
それと同時に、非スピリチュアルな理系の方は「こいつはスピリチュアルを肯定しようとしている!!」と感じる方もいるかもしれません。
どちらもその通りで、Dr.mokuの立場は、
●スピリチュアルは確かにある
●しかし、スピリチュアルは自然科学の言葉で語るものでは決してない
というものです。なので、スピリチュアルの世界の中では超少数派に属します。
それと同時に、非スピリチュアルな理系の方々にお伝えしたいことは
●自然科学で語れる世界がこの世の全てと思っていませんか?
ということです。なので、科学の世界でも僕は超少数派に属します。
これで、自己紹介で書いた「どちらの世界も居心地が悪い」という意味がご理解いただけたのではないかと思います。
そして、Dr.mokuの考えているコアな部分を初回に書いてしまいました(笑)
今後は、この考えをベースにあの手この手で言い方を変えて同じ内容をお伝えする感じになるのではないかと思います。
それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。