自分で、着る
洋服を「着るもの」と認識して、袖に手を通す。
あたりまえのようで、案外難しい、「服を着る」こと。
我が息子おもちくん、ひとと少し違う生まれ育ちなのもあって、やはりゆっくりのんびり育っていて、服を着るということがいまいちわかっていないのかなぁ、と思ったりもしていたが。
いつからだろう、長袖を着ていたから、まだ少し肌寒い春先だろうか。
お風呂の後、パジャマを着る時など、
「おてて通すよ」
というと、あんぱんの妖精や緑耳犬に気を取られていなければ、自分で袖の穴目掛けて手を入れ、手の先を出す、ということができるようになった。
かならず、得意満面で、である。
見つめられたら、必ず拍手をしなければならない。
拍手が出るまで、おもちくんは何分でも待つ。
生まれた時から上げ膳据え膳、毎日看護師さんたちや姉たちにほめそやされて育っている、末っ子長男である。
自分は賞賛を受けるべき存在であると、自覚している。
「どうもこのぺらぺらのものの穴に手を通すと、みんなが褒めてくれるようだ」
と思ったらしいおもちくん、洋服に袖を通すことができるようになった。
彼にとっては、発達と賞賛はセットのようである。
今日も、袖に手を通しながら、拍手を待っている。