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【帰国翌年の躍進】高校を8ヶ月で修了
【2013年12月】曖昧になった高校中退
前記事でお話しした通り、やっとの思いでアメリカ留学を実現した私は、現地の高校の授業を1日しか受けることができませんでした。
しかし、病による欠席を余儀なくされてからも、しばらくは自学自習と課題提出を続けていました。
ボーディングスクール「Cushing Academy」は、当時の高校にしてはオンラインでの学習環境が整っていたと思います。生徒用のポータルシステムがあり、宿題の内容確認から提出までがそこで完結するようになっていました。
寮生活を送る生徒達が夜間の自習時間内に課題を終え、それをクリック一つで提出すると、早ければその翌日には先生からのフィードバックをいただくことができるシステムでした。
そのお陰で、学校近くの宿泊施設での療養開始から1週間余りはクラスメイト達と足並みを揃えて学習を続けていた私ですが、先生方や母との話し合いを経て、ひとまずその年度内の復学は諦めるという決断を下しました。
そのため、Cushingの生徒として学んでいたのは実質約2週間だと言えます。その後、11月に通信制高校「Laurel Springs School」に出会い、そこで編入生として仕切り直しをするに至ったのですが、正式にCushingを中途退学したのは最初の学期の終了時、つまり12月頃のことでした。
初年度の学費もそれに応じて、残りの2学期分だけ返金されました。
Cushingはバリアフリー設備なども充実しており、様々な事情を抱える生徒一人ひとりへの配慮が行き届いた学校でしたが、疾患によるこれほど早い休学・退学は前例がなかったとお見受けします。新学期開始直後の多忙な時期に多大なご心配をお掛けし、お手を煩わせてしまいました。
この時期にあらゆる面で先生方や事務員の方々にお支えいただいたご恩は一生忘れません。
【2013年11月〜2014年7月】日本にいながらアメリカ留学
"I’m home-schooled. I do an online high school, called Laurel Springs. Basically I do my work, and I send it to the teachers and they grade it and send it back. And when I’m on set, I have a tutor."
通信制高校「Laurel Springs School」は、子役やジュニアアスリートなど、特殊事情により通常の学校に通わないことを選択した子ども達に門戸を開いています。いわゆるホームスクーリングを可能にする教育機関です。
映画『リトル・ミス・サンシャイン(原題:Little Miss Sunshine)』で一躍有名になった女優のアビゲイル・ブレスリンさんも在学されていたそうです。
私がこの学校に在籍していたのは、約8ヶ月です。
学生ビザの規定上、米国に滞在しながら完全オンラインで学習するということは許容されないため(前記事をご参照ください)、この期間はずっと日本にいました。つまり、自国を出ることなくアメリカの教育を受ける、いわば「バーチャル留学」をしていました。
この記事の執筆にあたり、当時の経験についてどれくらい詳細に綴るべきか迷いました。コロナ禍のロックダウンにより、国内外の多くの教育機関がオンライン授業を実施するに至ったため、私の経験は今や、さほど珍しいものではないように思えたからです。
しかし、よく思い返してみると、Laurel Springsのような学校の教育と一般的な学校の(一時的な)オンライン授業とでは、仕組みと流れが全く異なりました。
むしろ共通点が
・自宅から一歩も出る必要がない
・課題の提出と返却がメール等で完結する
くらいしかなかったかもしれません。
以下に主な相違点を挙げていきます。
※私自身の在学時(2013年〜2014年)の経験に基づいた記述です。現在は何らかの変更が加えられている可能性もありますことをご承知おきください。
・いつでも始められる
毎年度の課程を9月に始める必要はありませんでした。前述の通り、私自身も11月に開始しました。やむを得ない事情で一般的な学校を年度の途中で離れなければならなくなった生徒でも、すぐに編入して学習を継続できるという点が大きなメリットでした。
・自分のペースで進められる
コースの開始時期と同様、修了する時期も自分で決めることができました。療養や仕事、トレーニングなどとの兼ね合いを鑑み、個々人が自分に合ったペースで無理なく進められました。
得意な教科はサクッと、苦手な教科はゆっくり着実に進められて、学習効率が非常に高かったと思います。
私はフランス語の初級コースを取りましたが、フランス語は小学生の頃から学んでいたため各課題の完了にさほど時間が掛からず(1週間分の教材・課題を1日で終えることも可能だったと記憶しています)、そのコースは4ヶ月で修了しました。
それからは、学習すべき教科が一つ減った分、他の教科に十分な時間とエネルギーを注ぎやすくなりました。
文学や歴史など、比較的高い英語力を要するコースは特に難易度が高いと感じましたが、教科書や資料をじっくり読み、レポートやエッセイの執筆も分からない語を辞書で逐一調べながら取り組めました。
ただし、1年分の課程は8ヶ月以内で終えることが推奨されており、それ以上の時間を要するならば、通常の授業料に加えて延長料金のようなものを支払わなければなりませんでした。尚、私にとって最も時間が掛かったのは歴史のコースで、7ヶ月と少しで終え、かろうじて延長を免れました。
・リアルタイムの対面授業がゼロ
Zoom等を利用した出席必須の対面授業はありませんでした。(コースの開始・修了時期が人それぞれなので当然と言えば当然ですが、このことを誰かに話すと驚かれます。)
テキストやあらかじめ用意された動画で、好きな時に好きな場所で学習を進めることが可能でした。
希望者のみを対象としたリアルタイムのオンラインセミナーのようなものも開催されてはいましたが、そこで取り上げられるのはカリキュラム外の発展的なトピックで、参加の有無が課題や試験の成績に響くことはありませんでした。
・期末試験監督はプロに依頼
単元ごとの小テストやコースの途中で実施される中間テストは、保護者などの監督下で、自宅で受けることが許可されていました。
カンニング等の不正行為が行われても、学校側がそれを直接把握する手立てはない訳ですが、コースの重要なマイルストーンであるこれらのテストに真摯に向き合わなければ、後で辛酸を舐めることになります。
期末試験は身内以外の監督(「プロクター」)立ち会いの下で受けることが義務付けられているからです。私はテンプル大学ジャパンキャンパスの「試験監督サービス」を利用しました。
【1年間の成長:TOEFL 100点超え】
2014年の夏、ちょうど渡米から1年が経とうとしていた時期に、私はLaurel Springsでの10年生の課程をオールA +の成績で終えました。
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Cushing受験前は61だったTOEFLスコアも、105に跳ね上がりました!
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ただ、ご覧の通りSpeakingはまだまだ向上の余地が残る結果となりました。
Laurel Springsのカリキュラムには口頭でのディスカッションやディベート、面接試験が一切組み込まれていなかったことが大きな理由です。この点は、リアルタイムの授業のない通信制高校で学ぶことのデメリットと言えるでしょう。
海外の通信制高校のメリット・デメリット、入学方法や進学後の流れについては、別の記事で改めて詳細にご説明したいと思います。日本にいながら海外式の教育を受けることにご関心がおありの方は、当ブログをフォローしていただけますと幸いです。
【2014年8月】17歳で高校卒業
「GED は北米(アメリカとカナダ)で通用する高等学校卒業程度認定試験である。American Council on Educationが主催し、GED Testing Serviceがテストの運営を行っている。GEDをパスするためには、実際の北米の高校最終年生の上位60%相当の学力を示す必要がある。」
「自分のペースで学習できる」という新感覚のシステムに出会ってから、自然と芽生えたのが
「通常より早く高校を卒業できるのではないか?」
という考えです。
そして自分なりにネットサーチを試みたところ、GEDという選択肢に辿り着きました。2014年春頃、フランス語のコースを早急に修了した時点で、すでにこの試験を意識し始めていたと思います。
以降、市販のGED対策用問題集を購入し、Laurel Springsでの期末試験対策と同時進行で受験準備を進めました。
時期尚早かと不安も過りましたが、不合格ならば予定通り11年生に進級すれば良いと考え、期末試験からわずか1ヶ月後に挑みました。
試験会場は帝国ホテルタワーに位置するピアソン プロフェッショナルセンター(PPC)でした。
高校での学習と同様、社会科(Social Studies)や英語のWritingには苦戦しましたが、無事に全教科において合格(PASS)ラインを超えることができました。数学の教育水準が高い日本の中学を卒業したため、Mathematicsは満点での合格でした。
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通常よりも一歳年上の19歳でアメリカ高校留学を終えるはずだった私は、かくして17歳で高校卒業に準ずる資格を得ました。(尚、いただいた合格証書はなぜかミシシッピ州で発行されたものでした。サムネイル画像をご参照ください。)
【2015年1月】短大進学のため再びアメリカへ
8月のGED合格では、翌月の新年度開始のタイミングでの大学入学には間に合いません。
しかし、年度の途中からの入学を認めている2年制大学「De Anza College」への進学が決まり、翌年1月に再び海を超えました。1997年4月生まれの私にとって、本来ならば高校2年生の3学期にあたる時期の大学進学となりました。
この短期大学を選んだ理由、キャンパスライフ、そして2年後のUCLAへの編入までの道のりについては、またの機会に綴っていきたいと思います。
参考文献:
石岡 恒憲 (2006) . 「北米における高等学校卒業程度認定試験 General Educational Development Testについて」『大学入試研究ジャーナル』第18号, pp. 57-63.
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お読みいただきありがとうございました。
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