卒業論文や修士論文を書く学生へ
毎年,10名以上の学生の修士論文や卒業論文を添削する.これまで添削していて気になったことを,Twitterなどに書き散らかしたりしてきたが,まとめてメモしておく.(以下の文章は2015年2月に書いたものを編集したものです)
第1段階:正しく書く
論文に限らず,文章を書くときには,正しい言葉で書くことを常に意識すべきだ.読みやすいとか,分かりやすいとか,それらも当然大切だが,それら以前に,正しくなければならない.
誤字脱字のある論文原稿やレポートを書く人には,「そういうケアレスミスのある論文やレポートに書いてあるデータや結果を信じろと言われても無理ですよね」といつも言っている.
正しく書けないとしたら,根本的な問題は日本語能力の低さだろう.言葉を正確に使えないのに,緻密に考えられるはずがないだろう.ウィトゲンシュタインの論理哲学論考でも読むか?
第2段階:良い文章を書く
正しい言葉で,論理的で読みやすい文章を書けるようになるためには,良い文章をたくさん読むことに加えて,書く練習が必要だ.自分の書いた文章を添削してくれる奇特な人がいれば幸運だ.論文の場合,論文特有の書き方があるので,それに慣れるためにも論文を読む必要がある.
そもそも文章の良し悪しに対する感度が低いと,良い文章を書けるはずがない.本を読め,優れた文章をたくさん読め,と繰り返し言っている.
デタラメな文章は段落も無茶苦茶だ.「段落」は気分で区切るものではない.何行書いたからそろそろ区切っておくかというものでもない.意味に基づいて区切るべきものだ.
第3段階:論文らしく書く
緒言は雑談じゃないんだよ.的を絞れ.
修論や卒論も含めて論文を書くときは,文章から贅肉を削ぎ落とせ.徹底的に削ぎ落とせ.必要なのはデータと緻密な考察だ.飾りは要らない.
学生の書いた文章を私が書き直すと1/3に減った.もちろん情報の量は変わらない.スッキリした文章を書けないということは,思考もスッキリしていないのだろう.現段階では,読む量も書く量も圧倒的に不足しているのだろう.
論文を書くときには,専門的な用語は明確に定義して論文全体を通して同じ用語を使い続けること.
論文を書くときには,副詞や形容詞の使用は最小限に抑えて定量的に論じること.
(研究の質は問わないとしても)客観的に良く書かれた論文を書くのは難しい.卒論や修論を経験したくらいで書けるようになるものではない.企業の技術報告書とかが酷くても,まあ,仕方ないとも思う.容赦なく指摘するけれども.
第4段階:根拠を示す
修論や卒論の緒言を読むと,「○○は不可欠である」とかいう宣言が冒頭に書いてあったりする.そういうときは,とりあえず,「本当か?その根拠は?」と尋ねる.「えっ?だって△△ですよね」との回答にも「なぜ?□□の可能性もあるよね」と尋ねる.自分の論文なのだから,自分が徹底的に考えて書かないといけない.妄想はツイッターランドで呟いてくれ.
妄想だらけの緒言を読まされるのは辛い.まず文献を読め.
「提案法で超良くなった!」とか書かれても,お前の妄想だろとしか思わない.根拠を示せ.
論文の「○○が重要である」というのは大概ポジショントークにすぎない.ある観点からそうであるなら,そう主張するのも構わない.だが,大局的に物事を捉えて,本当に重要なこと,為すべきことは何かを判断できる方がいいだろう.視野を広げよう.本を読め.論文を読め.
第5段階:自分の責任で書く
論文でもレポートでも,自分が理解できていないことを書くな.何が理解できていて何が理解できていないかを,自分で把握できるようになれ.
自分が書いたものの責任は自分にある.「○○に書いてありました」なんて知るか.自分の書いた文章には責任を持て.
第6段階:原稿をチェックされる
完成度の高い原稿を早く見せろ.
自分が書いた論文原稿をチェックするときに,第三者の視点を持つこと,つまり(意地悪な)査読者の視点でチェックできることは重要だ.これができないと,いつまでたっても独り善がりな文章のままになる.
修論や卒論の原稿を指導教員に確認してもらい,いくつか指摘されたとする.このとき,指摘されたところだけを修正するのでは二流だ.なぜ指摘されたか,何が悪かったのかを理解すれば,他の部分も同様に修正しないといけないのは明らかだろう.なお,指摘されたことにも対応できないのは論外だ.
普段はレポートを添削し,最終的に修論や卒論,あるいはジャーナルの論文のチェックになるわけだが,全員がまともに書けるようになるわけではない.
第7段階:赤ペン先生の悲哀
赤ペン先生の四段階.第一段階:「意味不明」「ここはおかしい」と指摘する.第二段階:具体的に何がダメかを指摘する.第三段階:直らない部分を書き換える.第四段階:すべて書き換える.
学生の文章が消え失せてしまった.半分も生き残っていない.学生の書いた文章はできるだけ残そうと思うけど,それを実行できるのは,心に余裕があるときなんだよ.
赤ペン先生として学生の論文原稿をチェックしたとき,「元の文章が消え去った!」と叫んでも,半分くらいは残っているものだ.ところが,日本語原稿が9割5分消え失せることもある.誇張なしに.
学生の原稿を抜本的に書き換えて感想を尋ねたところ,「ちょっと頭に入りやすくなりました」とのコメントをいただいた.思わず絶句してしまった.
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