医学部生の時に滞在した六花寮(りっかりょう)
新潟大学の六花寮
長崎の軍艦島の廃墟を見ると思い出す…
私が在学したのは20世紀の新潟大学医学部。 当時医学部一年生は一般教養課程を履修しました( 医学部の教育は2年目からだった)。
1年目は「全学」とよばれる医学部以外の学部があるキャンパス(医学部からは離れた場所)でした。その1年間だけその学生寮に滞在することにしました。
「六花寮(りっかりょう)」という、男子学生が入居していた昭和の建物です。窓枠はステンレス じゃなく、鉄です。錆びてボロボロ。部屋もボロボロだし、落書きだらけ。上の写真はまさに滞在していた現役の六花寮です。
部屋は相部屋。2人から3人で部屋をシェア。 キッチントイレ共同。お風呂も共同。冬はさぞかし寒いかと思いきやセントラルヒーティングでカラッカラに暑い。二段ベッドの上段で寝ていたので喉の強い乾きで夜中に起きたものです。
もうね。毎日が修学旅行の夜ですよ。 部屋に集まってあれこれ喋ってるんです。
何年留年しているかも分からない主(ぬし)もいるし、雑多な人種が集まっている。偏りがあるとすれば、やや貧しいくらいでしょうか?
そりゃあ楽しいですよ。そして勉強しない。そりゃあ留年しますよ(私はしなかった)。
当時国産のお米が流通しない事件があって、タイ米を食堂で使用しました。ご飯を盛り付けていると (そういう役割分担があった)、むわ~っとむせるようににおうんです。
でもみんな普通に食べていました。腹を満たせればなんでも良かったのです。
PCもスマホもない。むろんインターネットもない時代。想像できますか?
でも社会人一歩手前という、ワクワク感は自分にありました。振り返っても根拠のない期待感。
だって何も知らないんだもの。
今の若者は情報の渦の中。明らかに若い時の自分よりもたくさんのことを知っているし、調べることもできます。でもその分、脳に負荷がかかっているんだろうなあ。
医学の勉強が始まる2年生からは寮を出てひとり暮らしを始めました(それからWindows95なるものが世に出てネットを使うように)。 以来、寮の仲間とは連絡を取っていません。 もしも同期の人間と会うことがあるなら思い出話で夜を明かすのでしょう。