行き倒れの心境を疑似体験した100キロウルトラマラソン
「苦しい…無念…」バタリ…
あなたは行き倒れたことってありますか?(無いと信じます)「行き倒れ」って無念に包まれながら意識を失うと思っていました。でも違うかもしれないと思った体験です。
未知の世界が見られるかも。
新たな視点が開眼するかも…。
フルマラソンの42キロが短く感じられるようになるかも。
そんな気持ちでエントリーしたのは100キロのウルトラマラソン
身の程知らずの私。どうせ走るのは3か月後の自分であり今の自分じゃないし。エントリーしたれ!
無茶しました。だってもうアラフィフですよ。椅子から立ち上がるのにヨイショって言わないと立ち上がれませんから。
6:30に柴又を出発、江戸川沿いを北上してさいたまを縦断し、茨城県へ。そこでUターンして柴又へ戻る。
50キロ地点で脚が痺れだしました。すでに限界を超えました。脚を前に振り出すのに股関節から内ももに重い筋肉痛が走ります。
一歩脚を振り出すのに痛みに耐える必要があります。
江戸川の河川敷は景色が変わりません。ゴールが見えません。曲がり角でもあれば気が紛れるでしょうに。見えるのはゴールの見えない絶望だけです。誠に残念ながら悟りは降臨しません。降臨するのはネガティブな感情だけ。
般若のような苦痛の表情をしたい衝動に駆られます。しかし苦悶の表情を作ること自体で体力が更に削られます。考えることをやめます。考えるな感じろ(ブルース・リー)。いやいや感じちゃダメ。感じることすらするな。一方通行をただ進むだけ。
苦痛ってのはね。その場で歯を食いしばればいつか去るモノと思っていました。誤解でした。脚を前に振り出すの「ギャッ」と疼く痛み。その痛みを自ら拾いに行かないとゴールに近づくことができないのです。みずから自分の身体にナイフをガリガリ滑らせて痛みを得てゴールに50センチ近づくことができるのです。むち打ちの刑のようにその場で丸くうずくまってるわけにいかないのです。
90キロ地点。ついには上腕二頭筋が痛みで腕振りに耐えられなくなりました。
アスファルトの上でちょっとだけ横になりたい…ちょっとだけ…
横になった瞬間、得も言われぬ最高の幸せが降臨する気がするのです。
ここが冒頭で述べた行き倒れの心境。
もう十分に頑張ったあとの諦め。
硬いアスファルトの上に横たわる。すると身体が重力から開放され、天国に昇天する。そんな感覚。
似たような体験したことありますか?
追伸
もちろん安易に行き倒れてはいけません。