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露出コスプレイヤーは作品に対する愛はあるのか?論を見て思うこと

これはX(Twitter)でここ数日流れてくる論議である。(露出コスプレイヤーは、肌の露出した、きわどい衣装を着たコスプレをする人のことです。)
「露出コスプレイヤー」だけでは作品に愛があるかどうかなんて一般化できない。
目立つための手段として露出しているかどうかが「愛があるかどうか」を判断するための補助線なんじゃなかろうかと思う。この点について論じたい。

肌の露出衣装で目立ちまくる

きわどい衣装と普通の衣装では、きわどい方がはるかに注目を集める。
技術のある人が、時間、お金、ロケーションを用意して、愛あるコスプレ写真を仕上げたとしても、露出したコスプレにすぐ注目を浚われてしまう。
現時点でたいていの情報発信プラットホームは、目立つが勝ちであり、同じ努力なら露出したコスプレに敵うケースは稀だろう。

目立つための競争は激化する

目立つ作品は、他の作品を見てもらう機会を奪う。要は競争となっている。
露出がお手軽に目立つための手段であるから、次のような状態に陥るだろう

  • 露出コスプレイヤーが増える

  • 競争して資源を取り合う

  • 露出競争が激化する

こうして、作品への愛より、目立つことの手段として露出が利用される
露出を手段として利用し始めたばかりでは、そこに作品に対する愛自体は減っている状態になる。目立つために露出に狂奔するようになれば、愛はなくなっているだろう。

金品を乞う

コスプレイヤーに限らずだが、アマゾンギフトで贈り物をしたり、投げ銭をしてもらう仕組みを利用することができる。それを利用すると、利益を増やすために、なおさら露出競争が激化する。
(補足:いいコスプレ作品を作りたいために、カンパを募るということもありえるので、金品を請うこと自体否定はしていない。上記は、あくまで露出競争の激化という点に絡めた論であることに留意してもらいたい。)

これを踏まえて結論

露出を目立つための手段としている人は、愛がない人の割合が多いだろう。
目立つための手段としているかどうかわからない場合は、判断をしてはいけない。早まった一般化である。
その判断は、そのコスプレイヤーさんの「人物紹介(biography)」に当たる部分を見たらある程度判断がつくかもしれない。

個人的所感

私は露出写真には、目立ちにくいアルゴリズムを導入するべきと思っている。理由は、上記で論じた通り、今は露出による不公平な競争が跋扈している状態で、公平な競争にしていくべきと思っているからだ。(愛があるない、の問題ではない。きわどい衣装の写真はいずれにせよ、目立つという意味で下駄がはかされるので)
特にXのカオス具合は、個人的にはもう手遅れだと思っている。焦土と化した後で出てくる新たなルールやアルゴリズムに期待したい。

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