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下書き1

北朝鮮の旅行受け入れが再開される見込みらしい。行きたい。独裁的で暴力にあふれた国家だと囁かれるが本当のところはどうなのか、現地に行ってこの目で見たいと願う。マスゲームにも冷麺にも興味はないけど、板門店を見下ろした景色に38度線のレイヤーを重ねたい。行きたい。

パキスタンのフンザからK2を陸路で越えてウイグルに入りたい。サスペンションのいかれたバスに揺られて、気が遠くなるほど長い峠を這って、道中公安に荷物を隅々までチェックされつつ入国審査を迎えたい。峠の先の小さな町で行くあてもなく途方もない景色を眺めていたい。行きたい。

願ったことはいつか叶うのかもしれない。だけどそんなには上手くいかないみたいで、治安や金や休みやら現実的な課題に押し込まれて、いつか出来たらいいなと留まってしまう。

だからこそ、飛び出せた時を覚えてしまうのだろう。心臓がバクバクして、顔はニヤついて、後のことなんて考えられないあの瞬間を。



美しい文章を書きたいと思った。

よく磨かれた象牙のように艶やかで、張りつめた夜空に落ちる新雪のように鮮やかな、丁寧な言葉運びの文章。掌中に落ちて消えてしまっても微かに想い出せるような文章を。

そうして過去僕が書いた文章を読み返してみると、蔑みの中で生きているような文章ばかりだった。陰湿で根暗。これ以上にふさわしい言葉はない。あれやこれや御託を並べた上で自尊心が低くて大変なんですの一言で済むことに不要な言葉を肉付けしたものばかり。日記をつけることは自分の気持ちに整理をつける為だとよく言われるけど、過去に書いてきた日記は気持ちにストーリーをつけて自分はこう思っていたんだと解釈を無理やりつけることだった。整理よりは改編に近い。

ウイグルを旅した人のnoteを読んだことがある。煌びやかな装飾の建物や、砂漠の中にある遺跡の静寂さと、書き手の日本での激務の対比が印象的な文章だった。
その中で一際印象に残った文章がある。

生き延びるとはなんだろう。

 生産性が自分の人生を覆い尽くし、人間性がわかりやすい価値で塗りつぶされていくのを受け入れること。「使える」人とだけつるみ、評価されること。夏休みはハワイに行くこと。

 生き延びるとは、きっとそういうことだった。

 忙しいことには慣れていた。仕事に慣れてしばらくたったあるとき、もう必要がないからという理由で、少しずつ集めていたアンティークの食器や学生時代に好きだった小説を捨てた。重要なのは、「役割」を果たすことであり、社会の共通言語で話すことだと考えた。

徹夜明けに、知らない人とウイグルを旅した日々のこと/砂漠 
https://note.com/elielilema/n/nb8baf42077cd

これを読んだとき、即座に旅に出たいと思った。さしあたって自分が激務に追われていたわけでもなく、抑圧された中で生きてきたわけでもなく、日々を何となくこなしていただけに過ぎないけど、旅の中で考えたことをこの綺麗な文章に落とし込めるような、そんな人間になりたいと思ったのだ。

その日から、インドへの航空券を探し始めた。

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