空洞です
冷酷なほどに寒く白いあの町に降り立って、何を思うのか考えていた。
飛行機の中は超満員で、ドアが開くのを待ちきれずに人々が立ち上がって列をなしている。早く僕も立たなきゃ。そう分かってはいながらも手に持った荷物の中を確認したり、何度も確認したシートポケットの忘れ物を確認したりしていた。窓の外は丁寧に除雪された滑走路が広がって、分厚いダウンを着た人たちが何やら作業をしていた。遠くには白く覆われた山がかすかに見えて、何度も降り立ったあの空港の景色がまるで初めて見たように新鮮に映されていた。その事実に久しぶりだなという感慨はなく、あるべきところに収まったというような現実感だけがある。
何をいまさら、どの面下げてきたんだ。そんな言葉が聞こえてきたらいいのに。そう願わずにはいられなかった。こんな町にいてたまるか。抜け出すんだ。どこまでもだ。
そう癇癪を起して引っ越してから4年も経つ。夢をかなえるために上京とか、そんな晴れやかなことは何一つできないままで、ただ地元の景色を見たくて帰ってくるだけになってしまった。
あれこれ考えているうちに自分の番が来て、僕も飛行機を降りる。
夢を追っていればまだ格好もつくのになあと思いながら、明らかに苦労人では買えないジャケットとブーツに目を落とす。いくらトウキョウのセレクトショップで買った服も、地元に帰れば意味をなさないことをアパレル店員は知らないんだろうなと思ったりして、そんなことこそアパレル店員は興味ないんだろうなとまた思う。いったいいつまで地方から出てきた若者の座にいられるのだろう。もう4年だ。4年経てばなんだって変わる。横浜駅の工事も終わるし、上野や下北沢の街並みも変わる。僕の顔つきや体形だって変わっただろうし、流行り病で外出が規制されるなんて夢にも思わなかった。きっと世界は僕の想像を超えていく。ドイツの哲学者だって世界は私の意思から独立であるのだって言っていたから。
この際哲学なんてどうでもいいことだ。考えた末に死んで神格化されればそれでいいと考える哲学者が嫌いだ。生について考えるのだと言いながら死んでいく哲学者が嫌いだ。哲学じゃ人の気持ちなんて推し量れない。哲学を齧りかけて、挫折して本棚の飾りになった僕はそうとしか言えない。
僕はそうして、何かに怒りながら、何かの限界なんかを悲しみながら飛行機のドアをくぐった。CAさんが頭を下げていた。
なんでもいいんだ。帰省する理由も。帰らない理由も。
何かに理由を求めて無理やり結論付けて、これが真理だと胸を張れるだけの力は僕にはないから、ただ飛行機を降りる人の列に続いて何となくでゲートをくぐるだけの体力さえあればいい。
1年前は帰らなかった。休みもたくさんあったし飛行機も空席があったけど、世情に乗っかって僕も帰らなかった。僕しかいない部屋で一人新年を迎えて、地元の酒を飲んでいた。
地元の酒を地元の空気の下で飲める。だから帰省する。
それでもいいんじゃないか。
そう考えると気持ちは軽くなった。さあ到着ゲートへ急ごう。友達が待ってくれているはずだ。今年は賑やかな年越しもいいだろう。
空洞の町。はるか昔に栄えて、栄えたという事実を歴史として聞いて僕が育った町。すでに発展が終わってしまったかつてのニュータウンで、衰退していく様を目にしながら年を取ったあの町。
衰退の一員となった今では何も言えない。
あの頃毎日迎えに来てくれて一緒に通学したあいつも、一緒に下校したあいつらもみんな町を出た。それどころかあの学校も立て替えて思い出も何もない新校舎がそびえたった。あの町に残った友達はもう何人かしかいない。
それでも、年末になるとみんなが帰ってきて、にぎやかになる不思議な町。空洞が埋まる瞬間にこんな町もありだなって思ったりして。
いつもは空洞なのかよって誰かに思われたりして。
空洞の町の空洞を形作る僕らはただ、飛行機の轟音に耳を奪われる。
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