見出し画像

しなやかな子育てのために

今週の振り返り(12/9〜)

今週も安定の7コマ。
木曜辺りから、近隣のこども園で胃腸炎、小中学校でインフルエンザが爆増し始めました。いよいよ来ました、、、冬到来です。
スタッフの健康診断のチェックと、福利厚生イベント、アトピー治療薬のモイゼルトの勉強会とまずまずクリニックの仕事も多忙な1週間。

そんな中…週末から右だけ手足が痺れる、という嫌な症状があり、
急遽MRIを撮ってもらいに。
久しぶりに患者の立場になって、
「何かあるかも、もしかしたら生死に関わる何かかもしれない」という不安を共に抱えてもらうことって本当にありがたいことやなーと思ってます。
小児科って大変やね、って言ってもらうこともあるけれど、
成人領域の先生の苦労、わかりました。感謝。



子育てはパターン化できない

さてさて今週も子育ての話題。

私は小児科医で子どもが好きなのねーと言われたり、
さぞかし子育てが上手いように勘違いされることも多いけれど、
実のところ、まったくそういうことはない。

さて、うちの子たち。

特に最近、年齢も上がってきて、子どもが3人いて、三者三様本当に色々で、

好きなもの、こと、得意なこと、苦手なものも全然違うし、
受け答えのパターンや、行動、考え方の癖、
エネルギー、感性、なんかも当然ながら全然違い、

幼児期、学童期に上がって、
その違いにより柔軟な対応を迫られることが増えた気がします。

この間中受の話を書いてて思い出したけど….ホンマ

学びの連続であり。

最近ほんと、「一人一人をよく見ること」って大事、と、実感してるので記事にしておきたいと思います。

家事はパターン化やったり、タイパコスパ重視〜なんやらでどんどん洗練されていく気がするけれど、

子育てって、全くパターン化してできるものではなく、
いつまで経っても”1から”の連続ですヨネ、、、


しなやかに、子育てをしていくために

発達障害のご相談から

そうそうその前に、発達のご相談が最近増えているという話。

お話を聞きながら、また学びを深めながら改めて思っていること。

発達に偏りがある子の世界観というのは
親が普通に想像できる範囲を超してしまっているから、
育てが難しいのだ、ということ。
物事の捉え方が一方的だったり、感覚の過敏さがあったり、
感じる、考えるの部分でのベースが全然違うんですよね、、、

だから、親にとって予測できないことが起きて、イライラしたり悲しくなったり。

だとしたら、やっぱり
まずはじめに、親として子どもの「特性」をきちんと理解することが必要なんです。

そうすれば、なんで?!と怒ることも減るし、

反対に自分がどうアプローチすればよかったか?
という風に思うことが増える。

そんなことをお話をして、
心理士さんとの面談や、発達検査を受けてみましょ、
と促すこともあります。


子育ては器を広げ続けること

ただ、このことってグレーゾーンの子はもちろんだけど、
普通の家庭でも普通にあること。

診断が付いていない子もやっぱり親が自分の尺度で見るから、子育てがしんどくなったり、
親子関係がうまくいかなかったりするんだろうなと思います。

というのも、最近、長男の教育に関して、夫の期待がちょっと彼の持っているものと方向性が違いそうで、負担ちゃうかな、、、と感じることがあって。
思いはあるのに、なんかお互いにしんどそうなんですよね。

私としては前提として子どもは自分ではないのだから、
子どもを自分側に寄せるんじゃなくて、
子ども側に寄ってみたらどうかな?と、
想いを伝えてみました。

人間って、どうしても自分の尺度、物差し、眼鏡を使って
目の前の出来事を見てしまう。

でも、子どもには子どもの世界観があるんだということ。

修行みたいやけど、それをわかって受け止める、
器を広げ続けることは親として必須やなと思う。

子育てってまずは子ども一人一人をよく「観察」し、「理解」すること。
そして親として「柔軟」に「器を広げ」て対応できるようにすること
なんだろうなぁ、って。

器広げのために

そして器広げのためにもう一つ大事なことは、

親である私たちが、きちんと自分を生きること
これしかない。

子どもの生活全般、学校生活、習い事、受験…特に選択が必要な場面で、
自分の考え方の癖や想いが全面に出てしまいそうになる。
自分ができなかったことを叶え満足するために
また反対に失敗したり嫌だったことを昇華するために
子どもを使っていないか?
ちょっと俯瞰してみる癖をつけておかないと、
押し付けてしまうことになる。

だから。
その余裕のためにも、自分は自分できちんと過去を癒し、今ココを生きること。

そうすることがまた「人生の先輩としての背中を見せる」ことにもなるのかもな、と。

ペアトレの効果に見る同志の必要性

今年前半、今後の仕事に取り入れたいと思い、
ペアトレ(ペアレントトレーニング)の小学校高学年のグループに陪席させてもらった。

メンバーはASD、ADHD等診断を受けた子どもがいるお母様たち6人。
我が子の特性を知り、接し方を学ぶことで、
感情に飲み込まれずに好ましい行動を増やせるのだということを
悩み、時には涙を流し、励まし合いながら、半年で学びを深めておられた。
私自身も大きな学びになった。

診断がついているかどうか関係なく、
子どもを見る目を養うことは本当に大事だし、

このペアトレで感じたんだけど、
子育てって自分が見えない(わかってない)ことが多々あるからこそ、
同志が必要だよね、ってこと。

こういうグループが自然な形で存在してると良いのだけど、

少なくとも夫婦は子育てのパートナーとして、
子どもを二人の目で見ていけたらより良いし、
祖父母、学校、園、またサードスペースなんかで、
共に子育てができる集まり、みたいなのがあるといいなぁと思う。

ということで
ますますクリニックでのペアトレやる気になって、
ちょっとワクワクしてます!

ただ、ペアトレというと敷居が高い感じもあるのかも?と思ってて、
もっと気軽な、
そういう場に近いものも、できたらいいなーーーと妄想してます。

子ども食堂みたいなんか、
フリースクールみたいなんか、
リトリート施設みたいなんか、
どんな形かはわからないけれど?

興味ある人いますか?

ではでは。

明日からもとにかく1日1日臨床しながら、
学びを深めていきたいと思います。頑張りますー!!!💪




いいなと思ったら応援しよう!