【ふしぎ旅】小国御陵
新潟県長岡市(旧小国町)に伝わる話である。
旧小国町の名所として記されたこともあるところだが、最近の小国地区の案内などには、この伝説については触れられていない。
実は埋蔵文化財としては、大塔塚(王統塚)で登録されており、そちらの伝説として伝わっているのだ。
もともと、この大塔塚があった地区名が”ミササギ”という地区であった。
ミササギを漢字で書くと”陵”、これは高貴な人の墓を意味する。
たぶん最初は、”小国町のミササギ地区”として”小国のミササギ”として呼んでいたのが、そのまま”小国御陵”の呼び名へと伝わっていったのではないか。
この塚、一説には以仁王の墓ではないかとも言われている。
護良親王にしても以仁王にしても、高貴な人間が、田舎へ逃げ延びるという伝説の枠組みは変わらない。
何かしら、身分の高い者が関係していることは間違いなさそうだ。
苔野島地区を訪れると、山の麓に出来た集落であることが分かる。
集落の入り口にお地蔵様がある。
山の麓にあるので、家は坂道ぞいに建てられている。
大塔塚は、そこよりさらに奥。山への入り口というところにある。
少し小高い丘があり、そこに注意しなければ分からない細い道がある。
そこが大塔塚の入口だ。
大きな銀杏の木が立ち、その脇に大塔宮遺(跡?)の字が書かれた石柱。
そして伝説の通りに苔むした墓?が置かれている。
近くには、苔むした祠もある。
ただ、他には何もない。
どのような場所かを説明する由来書もなければ、他の者の墓らしきものもない。
ただうっそうとした叢が一面に広がっているだけである。
皇室関係の墓という伝説が残る地にしては、あまりにも寂しすぎる風景が、歴史に残る護良親王の生涯と重ね合わせて、さらに寂しい気分へとさせるのだった。