【ふしぎ旅】福島潟
新潟県新潟市豊栄地区、および新発田市紫雲寺地区に伝わる話である
福島潟は、現在では野鳥の渡来地として、また菜の花や蓮の花などが美しい湖沼として知られ、観光客などで賑わっている。
この福島潟は、干拓前は現在の倍以上はあったようで、水上交通や、漁なども盛んであり、人の往来が多かったようだ。
そのため、天候によっては、大嵐となり、そんな時には湖の波にさらわれ、命を落とすものも絶えなかったようで、「(風で)髪の毛が三本動いたら潟に出るな」と言われるほど、用心した方がよいものらしい。
そんな福島潟で亡くなった人たちの慰霊碑が湖の傍らに「水死亡霊塔」として建っている。
なんでも、雨の夜など、福島潟で怪しい火が飛び交うとか、近くの寺でお経をあげていると、本堂の後ろで見知らぬ人影が映るなどという噂が立ったため、この供養塔が立てられたという。
お福の伝説の方に話を戻そう。
紫雲寺潟は、かつては塩津潟と呼ばれており、現在の胎内市塩津あたりに広がっていた。
その広さ、約2000ヘクタールもあったそうで、漁業などもさかんであったが、度々、水害に悩まされており、また不作が続く中、新田開発がすすめられていたこともあり、竹前兄弟が長者堀(落堀川)の掘削工事を行い、紫雲寺潟の水を直接日本海に直接流す形にして、干拓、新田開発を進めたのは、伝説にある通り。
そこから福島潟へと大蛇は移ったというが、紫雲寺潟が干拓されたのが1730年頃で福島潟が干拓され、面積が半分以下になった頃(現在は10分の1程)文政年間(1820年頃)というから、およそ100年くらいしか大蛇は福島潟にいなかったこととなる。
そして、猪苗代湖へ移ったというのだが、猪苗代湖の湖の主に関しては、様々な話が伝わっている。
新潟では福島潟の他に鵜ノ子潟の主であった蛟も猪苗代湖に移り住んだことになっている。
猪苗代湖の方では、もともとの主であった大蛇と大ウナギの対決の話が伝えられている。
猪苗代湖の湖南地域においては竜神様の伝説もある。
さらには大亀が主だという話もある。
一体、猪苗代湖の主は何体いるのだ、と不思議に思えるが、あれだけの広さがあるから、住み分けているんだろうか。
福島潟に関しては、ムジナ、カワウソ、イタチが化かしたという類の話や、湖漁の最中の雨の日に蓑笠に付いた雨粒が赤く光る”ミノムシ”と呼ばれる怪光の話なども伝わっており、人々の生活と深くリンクした自然豊かな湖だということが分かる。
湖の主の話は、案外と、その自然が少しづつ無くなっていく悲しい現実のメタファーなのかもしれない。
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