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【ふしぎ旅】本海壇

 福島県西会津町に伝わる話である

 野沢宿がほぼ出来上がりつつある頃、本海という行人(修験者)がやってきて、高灯籠を掲げ祈祷をしていたら、その火が漏れて宿場が全焼してしまいました。
 その後、宿場は火災が絶えないため、陰陽師に占ってもらうと、本海の恨みであると言うので、宿場では毎年7月15日・16日の夜に、家ごとに高さ6間(約11m)程の高灯籠を掲げて、本海の霊魂を慰めたそうです。
 さらに禍転じて吉祥にするため、本海を火防鎮火の聖人として壇を築いて、「お聖人様」として崇めました。
 このように宿場をあげて本海の霊魂を慰めたり、崇めたりしたのは宿場の人々が本海に対して、むごい仕打ちをしたことを悔いてのことではないでしょうか。

田崎敬修「にしあいづ物語100選 その1 本海壇(聖人様)と相撲」https://www.town.nishiaizu.fukushima.jp/uploaded/attachment/7683.pdf
本海壇

 野沢宿は、新潟県と福島県の境にあり、越後と会津を結ぶ会津街道(越後街道)の要所にあった。

 野沢宿が出来上がったのが、いつの頃かは分からないが、新しい町割りが出来たのが戦国時代の16世紀初頭とあるので、その頃のことなのだろう。

 そんな歴史がある宿の初めに伝わる話が、かなりおどろおどろしい話ではある。
 祈祷をお願いして、祈祷していたら、灯籠の火から出火し、宿場町が全焼するほどの火事になるとは、思い切り不吉な話ではあるが、それを祈祷した者の責任にするというのも、また可笑しな話ではある。
 さらに、本海への処罰(生き埋めにしたとも伝えられる)に関しては、言わずもがなである。
 これで祟りが起きないというのも、おかしな話である。

現在の野沢宿の様子

 ただ、これに関しては、実は話の伝わり方が違うのでは?とも思えるところもある。
 通常であると、このパターンって、いわゆる人柱の話であることが多いのだ。
 つまり、あまりにも火事が立て続けに起こるので、人柱として、生き埋めになるとか、即身仏として祟りを納めるとか、そのようなパターンだ。
 そして、その者が祟ることの無いように、神や仏として祀るというパターンだ。
 こちらの方が、通常の話の流れとしてはしっくり来る。
 以前紹介した道圓塚などは、まさにそのような話ではあるし。

 とは、言え本海なる者が犠牲になっていたことは確かなのであろう。

 本海壇は、道の駅にしあいづの近くにある。
 案内看板はあるが、そこはお祭りの日に、奉納相撲を行っていたところらしい。

本海壇案内看板

 実際は、もう少し奥まった林の中にある。
 入口に地?供養塔と書かれた石碑があるが、それでは無いので注意が必要だ。

入口にある供養塔

 林の中に、ひっそりとではあるが、キチンと周囲の者が管理して、祀っているということはよく分かる。

本海壇。火の字がハッキリと読み取れる

  伝説を思わせる不気味さはなく、野沢宿の入口にある火防鎮火の神としての意味合いが強いのだろうと感じさせる。
 野沢宿近くには、大山祇神社や、鳥追観音などの古来よりの霊地も多いため、その参拝客の、入口としての、道祖神的な意味合いもあったのかもしれない。

本海壇。塚の様にも見える。

 また、火防の神ともあるので、カマド神的なところもあったのだろうか。
 そう思うと、すぐ近くに消防署があるあたりもなるほどと思わせる。

 気になることは、最近では野沢宿の案内などにも入るようになったが、それまではあまり公になってはいなかったことだ(少なくとも10年前までは、頻繁に会津を訪れる私ですら知ることがないほどであった)
 祟りという負の側面があったということもあるのだろうが、それ以上に土地を守るものとしての性質が強く、あまり口外はされていなかったのかも知れない。

奉納相撲をしていたと言われる所

 と、すると先に記した道祖神という表現は誤っているのだろうか。
 街道近くにあるし、高灯籠を掲げてお祭りするなど、目立つことをしているので、秘密にしているわけではないのだろうが、宿場の守り神としての要素が強かったのかもしれない。

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