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【ふしぎ旅】さざえ堂

 福島県会津若松にある飯盛山は、戊辰戦争の時の白虎隊自刃の地として知られているが、それまでは弁天山と呼ばれ、会津鎮護の宗像神社がある所として信仰されてきた。

 別当としてた正宗寺があり、参拝客で賑わっていたというから、今でいうパワースポットのようなものだろうか。

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 正宗寺は明治の廃仏毀釈により、無くなったが、その名残としてさざえ堂が残っている。
 1796年の造立というから、江戸末期の頃となる。高さは16.5メートル、山の中腹にあるので、当時は、さぞかしら最上階からの眺めがよかっただろう。

 右回りにらせん状のスロープを登っていき、頂点からは今度は左回りのスロープを降りていく。決して登る者と降りる者がすれ違うことのない不思議な形状となっており、その特殊な建築様式から国の重要文化財に指定されている。

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 4階建てとなっているので昇降で3回づつまわると、出口に出るという作りとなっているが、外から見ると、異様な造形である。

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 正面入り口には、非常に精巧な彫刻が施されており、格式の高さを感じさせる。

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 このさざえ堂を作ったのは、当時この寺の住職であった”郁堂”禅師なるもので、堂の入り口付近に、彫像が置かれている。
 200年以上も前に、日本国内ではもちろん、世界的にも珍しいこのような建物を建てるとは、よほどの知恵と知識の持ち主だったのだろう。

 さて、このさざえ堂であるが、ただ単に不思議な建物を建てたかったら建てたというものでは無い。 
 現在は皇朝二十四孝の額が置かれているが、もともとは西国礼所三十三観音が祀られており、1周めぐると巡礼を終えたことになるという、江戸時代の遠方には行けない庶民のための巡礼の場であった。
 なるほど、つまりはここは仏教版のジャングルクルーズであったわけだ。
 ただ単に観音像を祀るだけだと、霊的な価値が前面に出てこないため、このような不思議な作りにしたのであろう。
 オカルト好きならば、いや、この二重螺旋の様式により、霊的波動をメビウス回路に増幅しているのだ、と思えばよろしい。(実際に似たような主張はある)

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 さて、実際に中に入ると、螺旋のスロープが続く。
 これを木造で作るのは、かなり技術が必要なことが、素人ながらにも分かる。
 角度や曲線の作り方など、現代で作ろうとしても、かなりの計算が必要であろう。
 それを200年以上前に建立とは、確かに、ただ珍しいものを作ろうとするよりも、何か大きな信念のようなものを感じる。

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 頂点の太鼓橋と呼ばれる部分で、昇降が切り替わるのであるが、この辺りにも職人の技が感じられる。

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 太鼓橋で上を見上げると天井には幾枚もの千社札が貼られている。もともとが、お堂なので仕方がないと言えば仕方がないのだろう。

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 千社札だけでなく、落書きも多い。

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 最近のものだけではなく、かなり以前からされている様子で、うっすらとではあるが、”越後加茂”、”大正”の文字など読むことが出来る。おそらく、その時代のものであろう。
 書いた者は、もう亡くなっているだろう。旅の恥はかき捨てなどと言うが、死後もしっかりと恥は残る。

 しかし、これだけの千社札、落書きがあっても、特段注意を促さないとは、どういうことなのだろうと思っていたら、出口の最後にあった。

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  国の重要文化財に付落書きは絶対御辞め下さい。

  まさかこのタイミングとは、注意するのが遅すぎる。
  二重螺旋の建築構造と同じくらい、この張り紙の位置は謎に包まれている。

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