新潟県弥彦村に伝わる話である
妻戸神社は、弥彦山本殿の裏手、海岸側の方に、ひっそりとある。
本殿とは違い、普段訪れる人は少ない。ただ荒れているわけでは無く、地元の人たちが丁寧に整備している。
神社は 伝説にもあるように弥彦神社の妃神である熟穂屋姫命を祀っている。
細い石段を登っていくと、柵があり、小さな祠がある。
祠の背後には、巨岩がある。これがご神体とされている「口開け石」だ。
月日が経つ中で、鬱蒼と茂ってはいるが、雪解け後すぐにであれば、もう少しハッキリと見ることが出来るのであろうか。
さて、ここであらためて伝説を読み返してみよう。
神様の情報をもらしたキコリが罰として、石になる。
このキコリの化石が「妻問石」「口あけ石」などとよばれ 妻戸神社の一隅に置かれているとある。
しかしである、この口開け石、一隅に置かれているわりには、あまりに大きすぎやしないか。
キコリが石になったというが、雑居ビル程度の大きさの岩である。
この地域は、巨人族でも住んでいたのだろうか。
それとも、神々の時代においては、キコリもやはり神であり、それゆえの大きさだったのだろうか。
あまりにも岩が大きすぎて、何度も伝説を読み返し、そして現地でも他にそれらしき石がないか捜したが見つからない。
もしかして、かつて妻戸神社は現代よりも広大な敷地を有しており、この大岩を一隅に置かれているなどと表現したのだろうか。
とにかく、古代のミステリーというよりも、何かが正しく伝わらなかったのだろうなと思わせる話ではある。