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【ふしぎ旅】千穂姫悲恋

 福島県会津若松市に伝わる話である。

 葦名家七代直盛公の頃、葦名家には過ぎたるものが三つあると言われていた。
 その第一は、鎌倉以北における第一の美女、千穂姫のいること。
 第二には、葦名家に代々伝わる金の采配があること、第三には、六十万貫両という莫大な領地のあることであった。。
 この第一に挙げられる千穂姫は、葦名家の重臣、大町左京盛胤の一人娘で、当時十六歳だった。
 この千穂姫には、直盛公の小姓で簗田衛門という、これまた絵に描いたような美男の許嫁があった。
 ところが好色な領主、直盛公は千穂姫の評判を聞くと、盛胤に対し、娘を妾に差し出すように命じた。
 盛胤は、さすがに即答を避け、重い足取りで屋敷に帰ってくると千穂姫にこのことを話した。
 すると姫は「私には簗田様という許嫁があります。ご領主様のもとに行くくらいなら、いっそ死を選んだほうがましです」と固辞した。
 その後も、直盛公からは再三の催促があったが、盛胤は、返答をさけていた。
 その内、盛胤は鎌倉へと行くことになった。千穂姫のことが心配ではあったが、自分の留守中に無理もしないだろうと、鎌倉を目指し、旅立った。
 ところが盛胤が旅立つと間もなく「即刻、姫を差し出すように」との直盛公直々の召出状が大町家にもたらされた。
 大町家では主人の留守中のことで、どうしてよいか、分からない。
 そうこうしているうちに、刻々と時間は迫っていく。
 「自分さえ、この世からいなくなれば・・・」
 姫は、もはやこれまでと死を覚悟して密かに家を出た。
 時は秋の半ばであった。
 月が皓々と照る中、ただ東へと杖をたよりに歩いていった。
 やがて、湯川の淵にたどり着くと、水垢離をして身を清め、湯上羽黒山社権現の奥の院に昼夜とわず、祈願をこめていたのであったが、その満願の日、夢枕に立った白衣白髪の老人に「無常の恋を諦めて仏門に入るように」と諭されたのであった
 しかし、せっかくの神のお告げでも、姫は衛門を諦めることは出来なかった。
「どうせ、この世で苦しむよりかは、あの世で衛門様を待ちましょう」と言って、十六の命を川の渕へ投じたのであった。

 すると、その時、羽黒の奥より、仏様が現れ、渕の底に沈もうとする姫をすくい上げ、消えていったのであった。
 この有様を見ていた別当東光寺の行智上人は千穂姫を諭し、姫もようやく迷いから覚め、名を智尚尼とあらためて、仏門に入ったのであった。

 その後、簗田衛門が千穂姫を訪ねたが、千穂姫は顔をもあわさず、二度と二人は会うことは無かった。
 智尚尼は、そのもま尼としての生涯を送り、直盛公の死後は城中の奥殿に勤め、齢73歳でこの世を去ったという。
 千穂姫が身を投じたその渕は、その後”尼渕”と呼ばれるようになり現在に至っている。

小島一男『会津の歴史伝説ーとっておきの33話ー』

会津 東山温泉

 東山温泉は会津の奥座敷として、今から約1300年前、名僧・行基によって発見されたという伝説を持つ歴史がある温泉である。
 文人も数々訪れる、趣のある温泉街であり、伝説も数多く残っている。
 この千穂姫の話も、その一つで、あまりにも語られることが多いためか、伝説の内容が講談じみていて、あまりにも芝居がかっており、長尺だったため、かなり端折った引用となった。 

尼渕碑

 許嫁がいる美女が、権力者に見染められて、世を儚み、身を投げるという、どこの世界でもあるかのような悲話であるが、仏の力に助けられ、命をおとさず、しかして元々あった恋愛感情は捨て、尼となって生涯を終えるという、なんとも歯切れの悪い結末ではある。

 とは言え、自ら身を投げて一度死に、尼になったということで、世間から離れた、いわば二度死んだわけだから、四苦八苦の輪より逃れ、色恋沙汰から離れたことも当然と言えよう。

尼渕

 実際に訪れると、現在は川はそれほど大きくはない。
 とりわけ尼渕のあたりは、身を投げるほどの深さがあるものだろうかと思われるほどである。

 同じ東山にあり、これも悲恋伝説が残る(お藤という名の娘が、かなわぬ恋に失望し身を投げたと言われる)藤身ヶ滝の方が、身を投げたと言われても納得できる。

藤身ヶ滝

 とは言え、このような悲恋伝説がいくつも残っているあたりが、東山という城下町の温泉街の風情に一味くわえているのだろう。

 さて、千穂姫が、祈願したと言われる羽黒山神社であるが、いまだ健在である。東光寺の方はと言えば、神仏分離、廃仏毀釈により、現在は温泉神社と変わったらしい。

温泉神社

 羽黒山神社は、神社と言いつつ、参道の間に三十三観音があったりと、修験道の流れを強く残している。

羽黒山神社 奥の院

 1225段の石段と言われるが、一直線ではないので、山道を登るという印象が強い。
 現代でこれなのだから千穂姫の時代にあっては、足元もおぼつかなかったのではと想像される。
 それを昼夜問わず、祈願するというのだから、いやはや人の思いの強さだけは変わらないことを感じさせられるエピソードである。 

羽黒山神社 入口 

 そんな伝説の面影を残す東山温泉は、会津若松市という観光地において、市の中心部から、車で10分ほどのところにおり、温泉地の賑わいと、市街地から離れたところにある自然の静寂とが交差し、さらに、千穂姫伝説のような、会津の歴史とそこに住む人々の思いが感じられる、もっとも会津若松を感じさせるスポットの一つでもあると言えるだろう。

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武@ニイガタ
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