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【ふしぎ旅】関山の毛塚

 新潟県南魚沼市(旧塩沢町)に伝わる話である。

 昔、関山に源教という僧侶が住んでいた。
 源教は、毎年冬になると、鉦を鳴らし念仏を唱えながら寒行に出かけた。
 そして、「五十嵐橋」という吊橋のところで、足元を誤って川へ落ちて亡くなってしまった者たちの回向をして帰った。

 ある冬の寒行最後の日だった。源教はいつもと同じ様に橋の上に立って回向していると急に川の中から青い火が燃え上がった。
 しばらくすると川の中から髪を振り乱し、青白い顔をした女が出てきた。
 そして、源教に「私は、菊という者でございます。夫や子供と死に別れ、一人で暮らしていましたが、親類の家をたずねる途中、この川へ落ちて死んでしまいました。今日は、四十九日に当たり、早く成仏したいのですが、髪が残っており、極楽へ行くことができません。どうぞ、この髪を剃ってください」と言って泣き崩れた。
 源教は「よく分かりましたが、今剃刀を持っていないので、明日私の寺へおいでなさい。そうすれば、剃ってあげます」と答えると、女はうれしそうに頷き、煙のように消えてしまった。

 翌日、源教は近所の紺屋七兵衛という者に、この話をして、証人として見ていてほしいとお願いした。
 七兵衛は了解し、押入れの中から、様子を見守ることにした。
 夜になり、昨夜の女が、頭を垂れて寺に入ってきて、源教のそばに座った。
 源教は女の後ろに回り、用意していた剃刀で髪を剃り始めた。
 すると、剃った髪は糸で引っ張られるように、するすると女の懐へ入ってしまった。
 源教は少しでも証拠のために髪を残そうと、右手にからめ、ようやく一握りほど残した。
 剃り終わると女は手を合わせて、源教を拝み、また煙のように消えていった。

 翌日、源教は近所の人を集めて、幽霊の話を語って聞かせたあと、お経をあげて、お菊の霊を弔った。これで、一時は幽霊は現れなくなった。
 しかし、数本の髪を手元に残したためか、成仏しきれず、また幽霊が現れた。
 そこで、源教は手元に残した髪の毛をお菊が水死した魚野川のほとりの土手に埋め、その上に塚を建てた供養したところ、幽霊は現れなくなった。
 人々は、これを「毛塚」と呼んでいる。

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 元々は、鈴木牧之『北越雪譜』の「雪中の幽霊」という話である。
 幽霊にも物理的な髪の毛があるというところが、他の怪談とは大いに異なるところだ。
 もっとも、「後ろ髪引かれる」などという言葉もあるように、髪は未練の象徴でもあり、髪を切ることで成仏するなどという話があっても不思議ではないだろう。

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 多くの者が命を落としたという五十嵐橋は、現在では、その名を残すだけのコンクリート製のよくある橋となっている。
 冬場は、深い雪に包まれるだろうが、夏場は釣りをする人がいるような穏やかな川だ。

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ただし、話にある毛塚は、この五十嵐橋の近くには無い。
なんでも、地域の共同墓地移転の際に一緒に移動されたというのだ。

 実は、私はこの近くを訪れるたびに何度か、関山の毛塚を探したことがある。しかし、川の近くには見つからない。
 それも当然で、どうやら、大儀寺というところに現在はあるようだということで車のナビにいれるも見つからず、ただただ石打丸山スキー場のあたりをグルグルと回るだけだった。

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 改めて、探してみるとナビでは行き止まりになっているところに細い山道があり、そこを進むとスキー場中腹のリフト乗り場があり、そこに場違いな建物が建っている。

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 その脇に共同墓地があり、関山の毛塚も、そこにあった。
 なんと、川のほとりでは無く、スキー場のコースのど真ん中にあるとは、想像することは難しい。
 これでは見つからないはずである。

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 夏場は、ほぼ訪れる人はいないようであり、ただ蝉時雨が空に響いていた。
 共同墓地なので、お盆辺りには地元の人が墓参するのであろう。
 キチンと案内板もあったので、年に何人かは訪れるのかもしれない。

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 しかし、冬場はというと、明らかにスキー場の中腹にあるのだから、スキー客が多く訪れ、賑わうのだろう。
 さすがに上に雪が積もった墓の上を滑るということはないだろうが、それにしてもスキー場の中に墓地とは、知らない人が訪れたら、それこそ雪中の幽霊の話かと思うのではないだろうか。

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 それにしても、自分が落ちた魚野川をはるか見下ろす山の上に塚を移動されるとは、お菊さんは思わなかっただろうな。

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