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【ふしぎ旅】石筵(いしむしろ)
福島県郡山市、磐梯熱海温泉から会津の地へ母成峠を越え中ノ沢温泉まで向かう母成グリーンラインの出発点は石筵(いしむしろ)という地名である。
この地名に関して、次のような伝説が残されている。
往古、石筵は峯越の里と称せしと伝えられる。
其の后。後三年の役あり。源義家公朝命を奉じて奥州征伐の途中この里に宿営滞在する事30日。その時この石の上に筵を敷きて斎戒して座し神祇を祭り戦勝を水上神社に祈願せしより。
この石を石の筵と唱へ遂に村名となれりと言う。
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筵(むしろ)という字を漢字で読むことが少なく、地名としては難読の部類に入るであろう。かつては石筵(いしむしろ)村であったが、現在では地名として名前を残す。
幕末の会津戦争の激戦地、母成(ぼなり)峠の入口にあり、戊辰戦争の結果でも分かるように、この峠が進軍の要となったことであろう。
とは言え、後三年の役で、この近辺でどのような戦いがあったかは定かではない。
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水上神社に祈願とあるが、祀られているのは大山砥神社である。源義家と言えば八幡宮なのだが、それとも異なるのが少し気になる。
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筵石と言われるものを訪れてみると、大山砥神社の一角にそれはあり、誰かがその上に座るには手ごろな大きさと平たさである。
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とは言え、伝説としては、この石の上に座り戦勝祈願したというものであって、それ以上の話はない。
神がその石に乗って現れたとか、石の下に財宝を埋めたというなどといったよくある伝説では無いのだ。
にも関わらず、この石が地名の由来となっていることに少し驚く。
それだけ、この石はおそらく道案内的に重要な意味合いがあったのだろう。
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猪苗代湖畔から白河街道へと続く道の拠点に、その巨石はあり、その上で何かを始めるための舞台として格好のものであったのであろう。
現在であれば旅の途中でこの石を見たならば、その上に乗って記念写真を撮影するに違いない。
不思議なのは、先にも書いた通り、この石筵、幕末の会津戦争の激戦地、母成峠の入口にあり、この巨石にまつわる伝説を知っていれば、確実にこの石の上で戦勝を祈願したはずなのだが、その記録は無い。
たった一日で母成峠が破られたということからも分かるように、それだけ時間に余裕がなく切羽詰まった戦いだったのであろうか。
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