【ふしぎ旅】お今ヶ淵
新潟県三条市に伝わる話である
三条市街を流れる五十嵐川は、それほど大きくはないが、水量は豊富で、生活用水として重要な川であった。
同時に、暴れ川として、水難事故や洪水などの災害も多く、近年でも平成16年の三条市7.13水害などが記憶に新しい。
五十嵐川を訪れても、当時より何度も護岸補修されており、お今が淵が実際にどこにあるかはハッキリと分からない。
ただ五ノ町の地名は残っており、そこに嫁ぐということは、遠くないであろうということは想像出来る。
嵐川橋、御蔵橋という五十嵐川にかかる橋の名前が、荒れる川と、問屋などの蔵に続く道という名残ではないかとも思えるが、ハッキリとは分からない
その辺りには、幾つかの社があり、おそらく水死者の供養では無いかと思うのだが、そのような由来書のようなものが無いので、断定はできない。
ただ、それだけ、水難事故があるということは推測できる。
さて、新潟版番町皿屋敷などとも呼ばれる、この話であるが、土手の下の五十嵐川で皿を洗い、その後に土手で餅草(ヨモギ)を摘ませるという行為によって、大事な皿からなぜ目を離したのかと、キチンと説明されているあたりが、よく練られているとかんじさせる。
近くに、昔よりの繁華街があることから、より面白く、より怖くといった感じで話を作り込んでいったのだろう。
語る側としては、お今をおきらが手招きし、淵の中へと引きずり込むシーンあたりがクライマックスなのだろうが、よくよく考えると、お今もおきらも、川に沈んでいるので、誰がそれを見ていたのか、という話になってくるのだが、これについては、他の似たような怪談でも、あまり言及されることは少ない。
ともかくも、「語り継がれることによって、話の整合性がとれてくる」ということは、伝説、昔話、民話などといったものを語ることにおいて、あまり触れられることは少ないが、かなり重要な視点のような気がする。
「事実として何があったか」ではなく、「どう語られたか」の方が、その時代の空気、雰囲気というものを伝えることに他ならないからだ。
さらにはブラッシュアップされることにより、「時代が何を伝えたかったのか?」が鮮明になってくる。
とは言え、私は民俗学者でも文学者でもないので、それ以上は詮索しない。
ただただ、女性の嫉妬の怖さと、水辺の怖さは、昔も今もそれほど変わらないなぁなどと思うだけである。
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