【ふしぎ旅】鉢の石仏
新潟県十日町市に伝わる話である。
十日町市の中心部から、かなり離れた山の中を登っていくと、鉢の石仏はある。
本尊、十三仏をはじめとして200の石仏が置かれており、静寂とした森林の中において、その風景は神々しい。
とりわけ、本尊と、それを取り囲む十三仏の上の敷石は苔むして、年代を感じさせるが、非常に神聖な所で、誰でも土足であがってはいけない。土足であがると神罰があるなどと言われている。
さて、ここで伝説の方を、もう一度振り返ってみよう。
西の空を眺めていると、丸く光るものが天から降りてきた、これは「天灯」という仏(神)が舞い降りた証だとされている。
この天灯(天燈とも記される)、現代では、冬のスキー場のイベントなどで使われるスカイランタンのイメージが強いが、かつては違った。
空から降りてくる得体の知れない光の物体、これを天灯と言った。
この天灯の話は、少なくなく、日本海側から光る物体が上がり、地に舞い降りたという話は、伝説などを調べていると、よく目にする。
阿賀野市の旦飯野神社などでも、佐渡の方より天灯が境内に舞い降りたという伝説が残されているそうだ。(公式ページでは、書かれていないので、伝聞という形にとどめる)
その他でも 十日町市(旧中里村)の”梵天様の船石”などは光りながら轟音と共に舟型の石が落ちてきたという伝説もあるし、長野県の牟礼にも同様な舟石という名の巨石がある。
オカルトマニアならば、空から光る物体!、これは古代より、異星人がUFOと共に訪れた証拠だ。などと嬉々として語るところであるし、私も、悪ノリして、そのように語る時も多い。
ただ、この天灯なるもの、時に轟音をあげて落ちてきたり、時にゆっくりと光が舞い落ちるようにして落ちたりと、見え方も様々であるし、火球やらなどの天体現象だったり、はたまた月の光のイタズラだったりと、様々な現象を不思議な天灯という言葉でまとめた総称なのであろう。
この天灯なるもの、縁起だけでなく、その後も、何回か目撃されたようである。
それは決まって、先に挙げた十三仏が取り囲む敷石(明屋禅師の袈裟をかたどったと言われる)の上だという。
だからこそ、神聖な扱いをされているのだが、火灯のヘリポートぽくもあり、先の異星人説を思い浮かばせる。
天燈石とも呼ばれるご本尊様である石は、座禅を組んでいる僧というよりは、明らかな陰石であり、そうであれば、天と地のまぐわいを想像させることは容易だ。
神が降りてきたということよりも、それにより新たなる神が生まれたということが、原初にはあったのかもしれない。
十三仏のすぐ近くには石を積み上げてつくった人口の富士山(中山富士)がある。
富士塚の一種なのであろうが、山の中に作ったというところが面白い。
また、その由縁が不明の十六羅漢像や、大正時代に作られた百庚申など、ここが様々な神が祀られた一大霊場ということが分かる。
ただ、その由来が、寛延から宝暦にかけて(1750年~1762年)と比較的新しいというのが面白い。
古来より聖地では無かったところに降って沸いたような天灯の話。
そして、霊場になるまでに様々な人の寄進を経て、13年かかったなどというと、宗教を使った村おこし的な匂いさえ感じさせる。
現代でもあるではないか。
ある日、突然普通の湧き水が”万病を治癒する奇跡の泉”などとなったり、ただの山奥に大地のエネルギーが集中する”パワースポット”が発見され、それを機に観光客が増えたり、ご利益のあるグッズが売られたりするなどということが。
案外と、鉢の石仏が出来た当時も、そんな雰囲気だったのかもしれない。
大阪の偉い坊さんが、神様がまばゆい光と共に山奥に舞い降りたのを見たらしいぞ。そして、そこに住むということだ。さらにはありがたい仏様を作り、更なる聖地にしようとしているそうだ。これは大変だ!
徳を積んで、極楽往生しようと寄進する者、ビジネスの匂いを感じ取りあれこれと動く者、皆がありがたがっているから、とりあえず便乗して観光で訪れる者、様々な人間の思いが交錯して、山奥に突如、霊場という名のテーマパークが出現する。
かつて、そんな騒ぎがあったのかもなどと想像すると、過去の話が身近にかんじられて面白い。