【ふしぎ旅】横浜の浦島太郎
神奈川県横浜市に伝わる話である
浦島太郎伝説は全国各地にあり、その中でも、古いのは京都の伊根であるが、比較的この横浜の浦島伝説もポピュラーなものらしい。
とは岩波文庫の浦島太郎の分布図などを見ると京都にも横浜にも印がないので、昭和の旅行、観光ブーム、村おこしブームなどで、実際の普及が変わったのかもしれない。
私自身もかつて木曽の寝覚めの床や、石の木塚といった浦島伝説が残るところを訪れている。
横浜に関しては出張の合間に行ったのでかろうじて慶運寺だけ訪れることが出来た。
また機会があれば他のところにも訪れてみたい。
横浜の浦島伝説は、最初に挙げたオーソドクスなパターンから、玉手箱を開けずに乙姫と末永く暮らしたというものまで様々なパターンがあるが乙姫が聖観世音菩薩を与えたというところだけは違うようである。
浦島が竜宮城より、もちかえり遺された唯一のものということになるだろうか。
本来なら玉手箱があるはずだが、これは遺されていないようだ(京都の伊根の浦島伝説がある地では遺されているようだ)
伝説では、三浦の里の浦島なる者が丹後(京都)へ赴いた時の話となっているので、元々の舞台は京都であることは間違いないだろう。
あとは浦島太郎がどう故郷にもどったかと言う話であるので、派生しやすい。
なので、浦島太郎が竜宮城へ行き、乙姫様と生活する日々の話と、また故郷に戻ってきてからの話は別の物語と思った方がよさそうだ。
前半は報恩からの異世界紀行、後半は「鶴女房」や「見るなの座敷」などによる「見るなのタブー」を破ったらという話である。
ただこの玉手箱、パンドラの箱などとは違い、災厄は浦島太郎だけ、それも年齢を過ぎていた時間の部分だけ戻して老人にさせるという、非常に科学的な罰となっていて、時間の流れを概念でなく可視化させる装置というSF好きにはたまらない設定となっている。
実際のところは、もともと煙が空へとのぼるところから、天上へ召されるという意味で、玉手箱の中身である煙は老化と死のメタファーとして使われているようではあり、話でも煙と共に老いて、空へと舞い上がったという話が目立つ。
さて、横浜の浦島太郎であるが、比較的JR横浜駅に近く、大通りから、すこし小路に入ったところには慶運寺がある。
入り口には亀を台座にした浦島寺の碑があり、その脇にフランス領事館跡の碑がある。
この2つが目立ち慶運寺の文字が目だなない。
中に入ると、手水鉢も近代的な亀だ
というものの本堂はいたって普通で、とりたて目立ったことは無い。
その一角に観音堂があり、ここに浦島太郎が竜宮から玉手箱とともに持ち帰ったという聖観世音菩薩像が安置されている。
観音堂の中をのぞくと、確かに観音様が祀られ、その両脇に男女の像がある。
これが浦島太郎と乙姫だというが、言われないと分からない。
むしろ中央の観音様が亀に乗っている姿の方がユニークではある。
どうにも、浦島寺というより、亀寺と行った方がよいのではないかと思えてくる。
浦島太郎をこの世の者、乙姫をあの世の者とすると、亀はその間にある案内人であり、妖かしであり、言わば浦島太郎と言う話の陰の主役的な立場である。
それを考えたかどうかは知らないが、とかく浦島と言うよりは亀がこの物語の標章となる傾向があるようだ。
先にも書いたが、時間の都合で横浜の浦島伝説で訪れたのは、ここだけであるので、また機会があれば他所もめぐってみたい。