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【ふしぎ旅】横浜の浦島太郎

 神奈川県横浜市に伝わる話である

 相模の国三浦の里に、水江の浦島太夫という人が住んでいました。
 太夫は仕事のため、久しく丹後の国へ赴いていました。
 その子の太郎が一日海に出て帰る際、浜辺で子供らにいじめられていた亀を助けました。太郎は助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れました。
 父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。故郷の土を踏んだ太郎には、見るもの聞くものすべて見知らぬものばかりでした。ついにこの玉手箱を開きますと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になりました。
 3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。
 太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。
 なお、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があります。
 また、七島と大口通との境を流れていた川は浦島太郎が足を洗った川だということで、大口通に足洗川の碑があり、子安通一丁目には太郎が足を洗ったという井戸があります。

神奈川区歴史あらかると
https://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/shokai/rekishi/urashimatarodensetsu.htm

 浦島太郎伝説は全国各地にあり、その中でも、古いのは京都の伊根であるが、比較的この横浜の浦島伝説もポピュラーなものらしい。
 とは岩波文庫の浦島太郎の分布図などを見ると京都にも横浜にも印がないので、昭和の旅行、観光ブーム、村おこしブームなどで、実際の普及が変わったのかもしれない。

関敬吾編「一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎」より

 私自身もかつて木曽の寝覚めの床や、石の木塚といった浦島伝説が残るところを訪れている。

 横浜に関しては出張の合間に行ったのでかろうじて慶運寺だけ訪れることが出来た。
 また機会があれば他のところにも訪れてみたい。

 横浜の浦島伝説は、最初に挙げたオーソドクスなパターンから、玉手箱を開けずに乙姫と末永く暮らしたというものまで様々なパターンがあるが乙姫が聖観世音菩薩を与えたというところだけは違うようである。
 浦島が竜宮城より、もちかえり遺された唯一のものということになるだろうか。
 本来なら玉手箱があるはずだが、これは遺されていないようだ(京都の伊根の浦島伝説がある地では遺されているようだ)

 伝説では、三浦の里の浦島なる者が丹後(京都)へ赴いた時の話となっているので、元々の舞台は京都であることは間違いないだろう。
 あとは浦島太郎がどう故郷にもどったかと言う話であるので、派生しやすい。

 なので、浦島太郎が竜宮城へ行き、乙姫様と生活する日々の話と、また故郷に戻ってきてからの話は別の物語と思った方がよさそうだ。

 前半は報恩からの異世界紀行、後半は「鶴女房」や「見るなの座敷」などによる「見るなのタブー」を破ったらという話である。
 
 ただこの玉手箱、パンドラの箱などとは違い、災厄は浦島太郎だけ、それも年齢を過ぎていた時間の部分だけ戻して老人にさせるという、非常に科学的な罰となっていて、時間の流れを概念でなく可視化させる装置というSF好きにはたまらない設定となっている。
 
 実際のところは、もともと煙が空へとのぼるところから、天上へ召されるという意味で、玉手箱の中身である煙は老化と死のメタファーとして使われているようではあり、話でも煙と共に老いて、空へと舞い上がったという話が目立つ。

 さて、横浜の浦島太郎であるが、比較的JR横浜駅に近く、大通りから、すこし小路に入ったところには慶運寺がある。

慶運寺 入口

 入り口には亀を台座にした浦島寺の碑があり、その脇にフランス領事館跡の碑がある。
 この2つが目立ち慶運寺の文字が目だなない。
 中に入ると、手水鉢も近代的な亀だ

慶運寺 手水鉢

  というものの本堂はいたって普通で、とりたて目立ったことは無い。

慶運寺 本堂

 その一角に観音堂があり、ここに浦島太郎が竜宮から玉手箱とともに持ち帰ったという聖観世音菩薩像が安置されている。

慶運寺 観音堂


 観音堂の中をのぞくと、確かに観音様が祀られ、その両脇に男女の像がある。
 これが浦島太郎と乙姫だというが、言われないと分からない。
 むしろ中央の観音様が亀に乗っている姿の方がユニークではある。

慶運寺 観音堂 内部

 どうにも、浦島寺というより、亀寺と行った方がよいのではないかと思えてくる。

 浦島太郎をこの世の者、乙姫をあの世の者とすると、亀はその間にある案内人であり、妖かしであり、言わば浦島太郎と言う話の陰の主役的な立場である。
 それを考えたかどうかは知らないが、とかく浦島と言うよりは亀がこの物語の標章となる傾向があるようだ。
 
 先にも書いたが、時間の都合で横浜の浦島伝説で訪れたのは、ここだけであるので、また機会があれば他所もめぐってみたい。

 

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武@ニイガタ
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