
【ふしぎ旅】市川神社
新潟県聖籠町に伝わる話である。
昔、ある武士が海で遭難し、亀塚浜の小さい堂宇を目当てに泳ぎ着いて助かった。武士はこの堂を「命の恩人」だとして七日間拝んでいた。
するとある晩、神様が夢枕に立ち
「堂が低い所にあるので人が腰かけたりして困る。高い所へ移してくれ」というお告げがあった。
そこで武士は神様の言う通り土を盛って山を作り、その上に堂を移した。
これが位守山市河神社のはじまりだという。
この神社の祭神は、作物と龍と雨乞いの三体で、松の木に姿を変えて農民の生活や沖の漁師たちを見守っていた。
ところがある日、心無い人が通行の邪魔になると言って、この木の枝を切り落とした。すると切り口から血が流れ出たのでビックリして逃げ帰った。
その後、島見浜の巡査が市川神社の堀でナマズを釣り、太郎代の大工にくれてやった。
大工が夕食にこれを食べたところ、その後、夢の中に大ナマズが現れ、
「お前がオレを食ったように、オレもお前を飲み込んでやる」
と驚かされ、翌日、堀へ行ってお詫びしたら、二度と現れなくなったという。

亀塚浜は現在、新潟東港工業地帯にあたり、浜の痕跡は無い。
市川神社も地区の住民と共に網代浜の方へと移転したようである。
なので神社のあるあたりの地名は亀塚となっている。
位守山は、現在史跡公園となっている。

山の上にはかつては社殿があったのだろうが、現在は東屋があるばかりである。

山の周囲には池が点々としてあるが、これがナマズを釣ったという堀なのであろう。水は無いところもあり、現在は釣りをする人はいないようだ。

もっとも、すぐ近くに海釣り用の突堤が解放されているので、好きな人はそちらへ行くだろう。
樹木に関しては松よりも、クヌギと思われるドングリが多く見受けられる。

よく見ると公園内に三本ほど、赤松があるのが分かったが、それほど古いものではないようだったので多分血が流れ出たという伝説の松とは何の関係もないのであろう。

当時は浜を一望できる高台であったのであろうが、現在は木も生い茂り、微かにそこから見えるのは工場とゴルフ場ばかりである。
小山の麓の方に、何かを祀っている小さな石碑があるが、崩れかけていてなんの神様かは分からない。

先にも書いたように。位守山は東港という大規模な工業地帯の一角にあり、その中でこの小山だけは、自然を多く残しており、似つかわしくない様相を見せている。
何となく、伝説にもある聖なるところだから、祟りなどを考え、ここだけは遺さざるを得なかったのではないかと考えるほどである。
さて、位守山は史跡公園となったが、住民とともに移転した市川神社の方も見ておこう。
こちらの方はもともとある諏訪神社の隣に建てられた。

境内にある石碑を見て合祀されたとおもったが、よく見ると諏方社と神明社が合殿されていて市川神社は同格であるようだ。
同格どころか、もともと諏方神社も高台に建っているのだが、市川神社の方はさらにそれよりも高いところにある。

伝説にもあるように高い所が好きなようだ。
奉納されている灯籠に猫のような小動物が描かれていたが、あまり見たことがないものだった。

市川神社の社殿そのものは、シンプルなもので、特に目を引くようなものは無かった。
もともとあったという諏方神社の方の、社殿彫刻には、市川神社の神である龍、その下に亀(玄武?)のようなものが彫られており、こちらの方が亀塚浜の神様ということを連想させる。


それはともかくとして、伝説の地が集落の衰退など人々と共に無くなるということはよく聞くが、伝説の地は史跡として残り、信仰の対象であった神社は集落と共に移動するという非常にユニークな残り方をした伝説であると言えよう。
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