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大阪府北部地震から2年

 2018年6月18日、大阪府北部地震は最大震度6弱を観測した(マグニチュード6.1、家屋被害は6万1000棟以上)。私は、阪神・淡路大震災(兄が神戸で被災)にはじまり、さまざまな被災地に関わってきたが、この時は自らの住む地域が被災地となった。危険はあらゆる人にふりかかる。安全地帯で暮らせる「私たち」と危険なところにいる「他者」という構図は崩壊した(ベック『危険社会』)。

 2年前のこの日、地震の朝、出張準備中に自宅で突き上げるような強い揺れを感じた直後に停電。自宅にいた妻と登校直前だった長女、そして、外に出て近隣の高齢者の安否確認を行った。電話は使えなったが、すぐにSNSで心配してくださる方々がいた。しばらく安全確認をしてから、小学校まで次女を迎えに行った。その後、被害状況、道路事情など情報収集をして、大学の研究科長や同僚に連絡をとり、研究室の学生の安否確認後、ヘルメット、軍手、ペットボトルの水と食料、寝袋を持って大学に車でむかった。

 研究室は書籍が散乱、写真立てのガラスが割れて飛び散っていた。そのままにして、大学に来ていた院生数名に声をかけて、事務から「大阪大学人間科学部」と文字が入ったビブスを受け取り、院生3人と一緒に、研究室に備えてあった水、食料を車に積み被害が最もひどい高槻市に向かった。寺院の山門の倒壊、墓石の損壊、看板・ブロック塀・石塀の倒壊、瓦の損壊、ガラス破片の散乱。倒れてきたブロック塀で小学生女児が亡くなるという事故もあった。また、高齢者がタンスに挟まれて亡くなった。鉄道網は乱れ、帰宅困難者が市街にあふれた。17万戸が停電、9万戸が断水、11万戸でガスが使えなくなった。エレベーターに3時間閉じ込められた人もいた。都市インフラの脆弱性が露呈した。

 地震の翌日、19日、大学の同僚、学生たちと吹田市社会福祉協議会を訪問し、支援活動を開始した。また、大阪大学の留学生が140名ほど小学校に避難していたので、大学本部と対応した。

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 大阪大学自体の被害も大きく、23億円かけて設置した世界最高性能の大型電子顕微鏡2台が壊れた。その他、建物の被害も出た。しかし、全壊した家屋数から被害が少なかったという印象が世の中にはあったろう。ガスが復旧せずシャワーがないところ、エレベーターが故障し11階の住まいまでの往復に苦労している高齢者もいたが、「これぐらいで」と何も言えないといった人が多かった。「見えない災害」であった。

 土嚢袋が不足し、近隣でも調達困難な状況を私はSNSで発信した。すぐに熊本地震の被災地から3件、3千枚を超える土嚢袋が提供された。滋賀県の僧侶、NPOの方からも支援があった。災救マップには、あるキリスト教や仏教の施設でシャワー設備の提供などの投稿もあった。
災救マップ https://map.respect-relief.net/

 見えない災害という特徴もあったが、SNSを使った支援もあったのだ。東日本大震災の被災地、気仙沼から鰹ふりかけとたくわんが届いた。中越地震の塩谷のお米+東日本大震災の野田村の塩+気仙沼の鰹ふりかけ・たくあん=大阪府北部地震のおにぎりが、災害ボランティアセンターで提供された。

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善意のバトンリレー「恩送り」、被災地のリレーだ。

 その後、西日本豪雨災害、北海道胆振東部地震が続いた。大阪府北部地震の被災はあっという間に風化してしまった。

 危険はあらゆる人にふりかかる。安全地帯で暮らせる「私たち」と危険なところにいる「他者」という構図は崩壊した(ベック『危険社会』)。しかし、今の不安(ギデンズ「存在論的不安」、バウマン「個人化社会」、「リキッド・モダニティ」)を訴えたいのではない。新自由主義的政治経済にあって、個人の不安への対応のすべてを政府に任せられない。期待できない。もちろん働きかけは必要だが、さまざまな現場で取り組みに希望を見出したい(ベック「サブ政治」、ネグリ=ハート「マルチチュード」)。

ひとりひとりの価値観、取り組みが世界を変えていく

You must be the change you wish to see in the world.
この世界に変化を望むなら、自分がそのように 変わらなくてはならない。
                      (マハトマ・ガンジー)

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