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なぜ変われないのか

新聞が、国会の討論に内実がなく、言質の取りあい、言葉尻の取りあい、それを逃れる答弁術に終始していると批判したところで、この状態が改善されるはずはない。  (山本七平『なぜ日本は変われないのか』p.205)

日本的平等は非常に根強い伝統であって、これを無視した場合、それは伝来の教義を無視したに等しく、伝統的な”人間への価値観”を蹂躙したことになるから、これへの反発は決定的であり、それを行ったものは抹殺されなければならない、という結果すら生じる。
                                         (山本七平『なぜ日本は変われないのか』p.210)

 今まさに読むべき1冊だ。山本七平は、イザヤ・ベンダサンの名前で出版した『日本人とユダヤ人』がベストセラーになり知られるようになった。『「空気」の研究』や『日本人とは何か』など日本人論を展開した。本書『なぜ日本は変われないのか 日本型民主主義の構造』は、1975年から1976年にわたって連載された「日本型民主主義の構造」を編集して、2011年に一冊の本として刊行されたものである。今から45年も前の論考だが、今まさに読むべき1冊ではないか。

 日本には「個」の組織化である「民主主義」の基礎であるべき、組織(システム)という概念がない。欧米をはじめ世界の多くの組織が合理的にできた「幾何学的組織」であるのに対し、日本は擬制の「組織的家族」であり、その目的は存続することにあると山本は指摘する。

 このような組織(システム)なき組織的家族の日本では、総政治化と非政治化が約15年周期で繰り返されててきた。政治に関係なき限り、言論・表現・信教・職業選択・居住・レジャー等の自由が保障される官憲主義は、政治的問題となり得る面を非政治化するための統制である。この非政治化が、ある時には、総政治化(全体主義)を求めて動き出す。それは、日本には、個の組織化である民主主義がなく、擬制の組織的家族が存続することを目的としているからだ。

日本の組織は壊滅の直前まで厳然と存続し、一種の”点滴”によって、社会に負担をかけつつも存続し得る。だが、その構成員は実質的には失業状態である。従って日本軍も倒産企業も、それが倒れる直前まで厳然として存続し、立派に機能しているようにみえ、この実体は常に”粉飾戦果””粉飾決算”で隠されていて、わからない。 
                                        (山本七平『なぜ日本は変われないのか』p.188)

 官憲主義も全体主義も、コインの表裏で、通常性(日常性)に立脚してはじめて人びとが動く。そうでない限り、現実に人びとを動かすことことはできないと山本は指摘している。では、このような日本はどのようにして変われるのか。社会変革につなげていけばよいのか。その方法論を山本は示していない。(山本は多くの著作をエッセイ風に書しており、論文として書いているわけではないので、明確なリサーチクエスチョン、調査方法、結論、インプリケーションといったワンセットが無いのを承知しており、そのことを批判しているのではない。)

それはもはや自らの手で時間をかけて模索する以外に方法がないこと、そしてそれを探す方向は、結局、自らの日常性の規範にしかないということである。  (山本七平『なぜ日本は変われないのか』p.221)

 自らが変わるしかないということか。ガンジーの言葉が頭に浮かぶ。

You must be the change you wish to see in the world.
 この世界に変化を望むなら、自分がそのように変わらなくてはならない。
                 マハトマ・ガンジー

 日本だけの問題ではない。『なぜ人と組織は変われないのか』では、変わらないのは、変化に対する防御システム(心理的なジレンマ)にあるとする。変化に対して自分を守ろうするメカニズムを解き明かにしている。

身近なところにも同じ問題がある。やはり、まずは自らが変わることか。


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