#8 俺が創作について熱を込めて言葉を放った意味、そして。
創作物。俺がやっているYouTubeの動画をはじめ、かつて趣味でやっていた画像の加工物、絵などが当てはまるでしょう。それら創作物が簡単にTwitterやYouTube、もう少し詳しく言うならばPixivとかで公開することができるようになりその評価を受けることも容易になりました。
俺がいうには少し可笑しい話ですが、かなり便利な時代になったもので自身の造った作品が評価されるのは気持ちがいいものです。だからこそ、自身の創作に対する意欲(モチベ)があり続けたりするんでしょう。
俺のYouTubeも例外ではなく、周りでやっている人間が少ないだけで同じく「創作物」です。自ら企画を考え、動画を収録し完成した動画を編集し仕上げする。立派な創作であり、自身の技術や努力、センス(直感)で作り上げられるものです。似て非なるものはあれど、完全一致するようなものは存在しません。故に、その人の「色」がでるわけでその人の「時間」を使います。
俺は「人の時間を無駄にする」ことが嫌いで、「人の努力が報われない」というバッドエンドを嫌います。頑張ったとその人が思うのであれば、その頑張りは相応に報われるべきだし、努力の結晶は相応に認められるべきです。努力や頑張りをしたならば、それは謙虚という名の箱に隠すのではなく赤裸々に頑張ったのだと胸を張るべきであると考えています。
今なお、あなたは何かを頑張っているのかもしれない。今なお、あなたはなにかに時間を充て、努力の限りを尽くしているのかもしれない。それは、決して無視されて良いものではなく、必ず評価されるべきであり讃えられるべきなんです。
俺はそう考えて、「頑張った」という人には「頑張ったね」と声をかけるように心がけます。その人が頑張ったのであらば、頭ごなしに否定することはできません。なぜなら、俺はその人ではないから。俺にとって簡単なことであってもその人にとって「頑張った」というのであればそれは「頑張った」わけで、その人と俺のベクトルは違います。人の頑張りを己の基準で評価してはいけません。
少し話が脱線しましたが、先日のツイキャスで素晴らしい絵を描いてくださった絵師の方と話をしました。「お金を払うとしたら1万円出せる」という俺に対し戸惑い謙遜する絵師さん。戸惑いに面白さを感じてはいましたが、金を出せるということは嘘ではありません。
大体、俺の絵を描いてもらうにもその人の大切で貴重な「時間」がかかっているわけで。なおかつその人がこれまで積み重ねてきた「努力」や「功績」、「技術」でそれは作り上げられるんです。
俺としてはその創作物を1500円や3000円で買うには安すぎると思うわけです。その人がこれまで積み重ねてきた様々を買うには対価が少し少ないのではないか。
それが趣味で収まっているとしても、「創作」は「創作」です。
すべてを理解できるわけではありませんが、自分の努力や時間を使って作り上げた物が評価されない人の気持ちは理解できます。わかっているからこそ言いたい。このことから編み出された言葉はこれだ。
そこにいる人の頑張りを否定するな。応援しろ。
そして、大切にしろ。
人と人の出会いは必然じゃありません。あのとき声をかけていなければ、あのとき振り向かなければ、あのときいいねを押していなければ、あのときフォローしていなければ、あのときコメントしていなければ、あのときその人を見ていなければ…。一つひとつの言動が、出会いを作り上げます。
あなたの愛した人はいなかったかもしれない。
あなたの親友はいなかったかもしれない。
あなたの友達はいなかったかもしれない。
あなたの推しはいなかったかもしれない。
あなたのライバルはいなかったかもしれない。
その人のやったことを、努力したことを否定してはいけません。今読んでいるあなたはこれをわかりきっているでしょうが、人はそこまで他人を思うほど余裕はありません。いざそのときになれば、こんなこと忘れているかもしれないんです。今ここでどうか、再度確認してほしい。あの人を称えるのは、あの人を褒めるのは、あの人の頑張りを認めるのは、あの人に出会ったあなたにしかできないかもしれない。
まさかこんな「出会いを大切にしろ」だとかそういう話になるとは思っていなかったでしょう?ですが、その努力を認められなくて辞めそうになった人間が此処にいる。気丈に振る舞っている弱い人間がいる。
これを読んでいるあなたも、努力を惜しまずよくここまでやってきましたね。どうか挫けることなかれ。なにか悩みや苦しみ、そんなのがあれば話に来てください。そしてあなたも、誰かの支えになってあげてください。
その人がいなくなってからでは、遅いんですよ。