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菅政権発足から早2ヶ月。気になるデジタル推進施策の今

こんにちは。デジタル&フィジカルデザイン編集部の加藤です。

本日は少しスケールの大きすぎなテーマですが、日本社会のデジタル化について述べていきたいと思ってます。と言っても自分の仕事上の経験から感じたことなどをベースに書いていますので、そんなに社会に対して物申すつもりはないのであしからずご容赦願います(汗)

菅政権が目指す日本の未来とは?

菅総理が誕生したのが2020年の9月16日ですから早いもので約2ヶ月が経とうとしています。僕たちが所属している業界的にはデジタル庁創設を始めとする政府・行政のデジタル化推進の施策がどう実行に移されるかに非常に注目をしているところです。

ところで皆様はSociety5.0という内閣府が提唱したキャッチフレーズはご存知でしょうか?これは日本社会の未来のあり方のコンセプトとして用いられている言葉で5年ごとに改定されている科学技術基本計画の第5期(2016年度から2020年度の範囲)にて登場した言葉となります。

Society 5.0とは
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)。

狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。
内閣府HPより引用

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内閣府曰く、Society4.0の情報化社会においては情報の流通そのものが経済発展に大きく寄与した一方で、流通する情報が過多となり企業と消費者双方においてあふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担となり、分野や世代などにおいて格差が広がったと総括しています。
 そこでSociety5.0ではデジタル上の情報とフィジカルな機器や端末から得られた情報が連携し様々な知識や情報が人々に等しく共有され、AIを用いた情報選別などにより、必要な情報が必要なときに提供されロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服される社会が到来することを目指すとしています。

前述の通り、これは2016年時に策定された内閣府の提唱なので今の政権がSociety5.0と言い始めたわけではないのですが、菅政権がいよいよこの構想を政府として実行に移そうとしているのではないかと僕は個人的にはポジティブに受け止めています。

デジタル庁の発足、行政の印鑑使用の原則廃止の行方

菅政権発足時の政策の目玉として取り上げられたのがデジタル庁の発足でした。来年の2021年秋設置を目指しており、まずもって以下のような課題へ取り組むことを発表しています。

(1)国と自治体のシステムの統一・標準化
(2)マイナンバーカードの普及促進を通じた各種給付の迅速化
(3)スマートフォンを使った行政手続き
(4)オンライン診療やデジタル教育に関する規制緩和

デジタル庁発足に向けた足がかりとしての動きを期待されデジタル改革担当相に就任した平井 卓也氏のインタビュー記事などを読む限り、まずは(1)にある省庁の縦割りの弊害の打破と共に特別給付金10万円の一括給付時に見られた混乱を反省点としたマイナンバーカードの普及といった施策にまず重点的に取り組まれるように思われます。

ちなみにですが平井さんの公式HPも覗いてみたのですが、うーんすごく見辛い・・・。というか素人が作ったWebサイトにしか思えないのが若干不安ですが・・・(笑)

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平井デジタル改革担当相のHP

行政の印鑑使用の原則廃止については河野行政改革担当大臣が推進しており、ニュースなどでも大きく取り上げられています。中には既存の判子業界などから猛烈に批判を受けている光景なども記事に取り上げられており、何事でも変化を推進する際には大きな抵抗があるものだなと感じます。

河野行革大臣のブログを読むと、現状どのような部分に対して押印を廃止しようとしているかがよくわかります。

(1)民間から行政機関に対して行う申請などの手続きのうち、押印が必要なもの=11,049種類
(2)そのうち、年間100万件以上の申請があるのが68種類(総手続き数の99.8%を占める)
(3)年間1万件以上の手続きが行われるのが合計438種類
(4)そこでまず、上記(3)の438種類の手続きについて押印の必要性を確認することを開始する。必要性のないものは順次廃止する。

数字で示されると非常に分かりやすく、また全ての押印を強制的に廃止するわけではなく効率の良いところから、押印の必要性を吟味した上で実行していこうとされているわけです。言うまでもなく押印という作業は業務上効率が非常に悪く、それがこれだけの件数を年間で処理していれば、それを廃止し代替として電子化することで相当な省力化になるのではないかと考えるのは至極まっとうな思考の流れなのではないかと思います。

国の行政に先んじて脱はんこに大きく舵を切った福岡市

国に先んじ「脱ハンコ」完了、福岡市に学ぶ押印廃止とオンライン化のツボ

福岡市は国が押印廃止を提唱し始める約2年前から「脱ハンコ」に取り組んでいました。取り組み前には700種類ほどしかなかった押印不要な手続き書類を約2年で全手続き書類の約8割に相当する3,800種類まで増やしました。

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引用:日経クロステック

詳しくは上記記事をご覧になって頂ければと思いますが、8割の書類を押印不要の簡略化&オンライン化した手法は国の施策でも大いに参考になるのではないでしょうか。残りの2割は国や県の法令上、押印不要にできない書類だそうなので国としての取り組みが本格化すればほとんどの書類が押印不要となる日も近いかもしれません。

なぜ日本社会のデジタル化は進まないのか?

平井大臣や河野大臣のこれからのデジタル化推進は個人的にはとても応援しているのですが、それにしてもこのようなデジタル化推進には必ず異を唱える人や抵抗をする人も少なくないと感じます。
 いわゆる旧来の既得権益を持った人たちが抵抗して勢力化しているといった図式でよく語られます。しかしその背景にはもっと複雑なものがあるのではないかと僕は思っています。

デジタルトランスフォメーション(DX)を企業として推進していくことについてもしばしば同様のことが起こります。企業の全体意志としてはデジタルを活用したビジネススタイルに変化していかないといけないことは元よりわかっているのだけど、それがなかなか遅々として進まないという現状は多くの企業で現在起こっていると思います。
 DXが進まない、成功しないのはなぜか?といった論説は様々な方が記事などで言及していますが、僕もひとつ持論があります。

デジタル化が進まない理由は僕たちにある(?)

DXが日本の企業で進まない一つの要因として、企業トップ人材のリーダーシップの欠如などと言われることもあります。企業トップが真の意味でDXを推進し全体に号令を掛けねば物事は進まない、という論理です。一面では正しいと思います。特に大企業のトップが旧来の保守的発想で凝り固まっているような発想の持ち主であればその転換が必要でしょう。

しかし僕が思うに今の多くの企業のトップに属する方々は社会で起こっている様々な変化にとても敏感で、DXの必要性に対しても危機感を持って検討している人が多いと感じています。中には自ら陣頭指揮を執って推進している方も多くおられます。その様な推進活動の過程で多く見受けられる「抵抗勢力」が実は現場の(僕たち)社員だったりすることも僕は実際に見たり聞いたりしたことがあります。

組織のトップになればなるほど大きな権限を持つのが普通ですが、だからといって何をやっても許される立場になれるわけではないことは言うまでもありません。トップの人間だからと言って自分の意にそぐわない部下の首を簡単に切るといった芸当は法律的にも社会的にも今の時代不可能でしょう。
 またその組織のトップであったとしても部下や現場に動いてもらわないと企業活動が回らないわけですから、彼らが気持ちよく仕事ができる環境づくりもトップの人間の重要な仕事の一つと言えます。

つまり、
日本の企業の多くのトップは(意外と)現場の気持ちを大事にする(し過ぎてる)傾向にあるのではないか?というのが僕の仮説的持論です。

翻って、現場に近い僕たちがトップダウンで実効されたデジタルな施策に対して以下のような気持ちや態度になったことはないでしょうか?

” 新しい経費精算システムを使うように言い渡されたが、従来の精算方法のほうがはるかに効率的だったので新システムを使いたくない”
” 営業管理の一貫でSFAのシステムが導入されたが毎日日報のようなものを入力して提出しないといけないのが億劫で出来ればやめてほしい”
” プロジェクト品質管理のために全社で新しいツール導入が決まったが、正直自分はエクセルで管理したほうが楽だ”
” 販促の一貫でSNSを使って情報発信するように指示されたが、正直発信するネタもないし面倒だ”
” テレワーク推進のためにPCやビデオ会議などの一通りの環境を用意してもらったが自分はオフィスで仕事をするほうがが好きなんだ”

いかがでしょうか?僕は正直上のような気持ちになったことがたくさんあります(笑)

我々も消費者の立場としては、デジタルによって便利になるものへの受け入れは比較的寛容で積極的な人も多いと思います。しかしサービス提供者(つまり企業活動の一員)の立場としては、デジタルを活用した新サービスまたはこれまでのサービスをデジタルに置き換えることに対して積極的に取り組もうという人は残念ながら企業内において多いとは言えないのが現状ではなでしょうか。その理由としては面倒な仕事を増やしたくないであったり、新しいことを始めることによって失敗したときの責任を取らされてしまうことを不安視するなどもあるとは思いますが、上述のようにまず変化することに対してあまり好まない傾向にある、といったことも理由の一つとして大きいのではないかと思っています。

変化に寛容であること。そして変化の先を具体的にイメージすること

上記説は、自分自身がもしかしてデジタル変革の抵抗勢力になっているのではないだろうか?という、ある意味での皮肉的な自己批判も含めたものなので、もちろんのことそれだけが理由ではないと思います(笑)

 しかし多くの人にとって変化することには苦労が少なからず伴うものという認識があってそれをネガティブに受け止める人も少なくはないのではないかと思います。それら思考を持つ人が束となり勢力化することで変化や発展を阻害しているのであれば、ひとりひとりがその思考や行動を少しずつ変えていかないと世の中の変革や発展はされないかもしれません。変化に対してちょっとだけ寛容になることと、変化したことによって物事がどう自分にとって良い影響があるのかを意識することはこれからの時代に特に大事なことなのではないでしょうか。

そしてトップであるリーダーは、変化後のイメージを具体的に忠実にその下のメンバーに伝えることこそが求められることなのかもしれません。
言うまでもなく変化させることが目的ではなく、変化の先に現れる姿を具現化することこそが目的なのですから、デジタル庁創設によって世の中はどう変わるか?ハンコを廃止することで生活はどう便利になるか、といったことを国のトップである方々には国民に示してほしいなと僕は思っています。

本日はオピニオン的な記事になりましたが以上となります。
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写真の版元:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Diet_of_Japan_Kokkai_2009.jpg

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