【2023年度五月祭】東大×藝大デザイン団体による、こだわりミルフィーユ専門店のご紹介 vol.2 「ポストコロナの学祭とブランディング」
※この記事は designing plus nine 第96回五月祭に伴うシリーズ記事です。前回の記事も併せてお読みください。
はじめに
こんにちは!
designing plus nine (dp9) の小網と申します。まずはリンクを踏んでくださってありがとうございます。
我々 dp9 は五月祭において “sweet palette” の屋号のもとミルフィーユの専門店を出店しました。この記事はその際にロゴ・ブランディングなどを担当した私による、その一連の経緯などを認めたものになります。
ちなみに私はデザインが専攻……というわけではなく、ふだんは物理学科で学部生(3年生)をしております。このサークル、専門でなければならないとか美大にいなきゃいけないなんてことはなく私みたいな例もありますから、もしこの dp9 に興味があるならぜひともいつか会うことを楽しみにしております。
実際に受け持ったこと
一貫した制作
ブランディング……とふんわり話しましたが、結果から言ってしまうと具体的な制作としてロゴ・メインビジュアル・フライヤー・ショップカードなどを横断して制作しました。
これは単に私が写真や組版やロゴデザインなど様々な方面で動けたこともありますが、受け持った最初にまず
ということを第一としていたためです。
方向性について
具体的に方向性を決めるにあたりさまざまに案を話し合った結果、
年代として学生をメインのターゲット層に据える
食品を扱うほか、デザインを行う団体として色彩豊かであることを両立させる
親しみやすいよう清潔感のあるようにする
ことを主な柱として据えました。
こうして組織内外向けにそれぞれ一本づつ、明確なコンセプトを定めました。
外部向けのコンセプトは前回の記事に詳しく書いてありますが、内部向けにコンセプトを明文化したのには一旦決めた方向性を共有することを副次的に見込みながら各々の抱いているイメージをまとめる段階でワンフレーズにしようという経緯によるものでした。
実制作
伝えることが定まったら実制作に取り掛かりました。
限られた時間と限られた手段の中で可能な限り効果的にかつ印象的に映るよう、かつそのイメージが一貫されることを常に念頭に置きました。
ロゴ
伝えるイメージをプロジェクト内部で可視化するためにもロゴ制作から取り組みました。きれいめのコンセプトと相反しない、かつ視認性にすぐれることを踏まえ書体としてFutura Nowを軸に展開することとしました。
ただこのままではシンプルで清潔感こそありますが、商品のもつあたたかさや団体としてのアイデンティティの面に難が生じる問題が発生しました。
そのためロゴを二種作成し、大写しで視認性を優先させるところではFutura Nowの強みである視認性を生かし、ワンポイントでアイデンティティを印加する場面では筆記体を用い写真のウォーターマークや画家のサインに通ずるものを展開することとしました。
後者は実際にフルスクラッチで書き起こし、名実ともに sweet palette にしかないものとなりました。
メインビジュアルと写真
メインビジュアルの制作はロゴ担当のみでなくプロジェクト内全体を巻き込んで議論し
palette から想起される絵の具は可食でないが、そこをどう合わせて美味しそうに映すか
実際に他の飲食物のフライヤーはどんな要素で目立たせている/惹きつけているか
それらのうち何が参考にできて何が参考にできないか
といった点を念頭にレイアウトを決めて撮影を行いました。
撮影には食品サイドの協力とともに実際に出すミルフィーユを撮影・編集しました。背景は色を重ねるといった原初のアイデアをもとに、実際にサークル内で抽象画に書き起こしたものを使うこととしました。
ショップカード
ショップカードはタテカンやフライヤーのように大きくも派手でもありませんが、実際に足を運んでくださった方にその記憶を結び付けるものであり、また sweet palette というお店から、その生みの親となった dp9 という団体そのものへの橋渡しをする役目を持っています。
そのことを踏まえ表面は実際の食べたときの記憶が思い出せるかのように編集を施し、裏面は余韻を保ちながら dp9 という団体の情報を、対照的にややグラフィカルなものとなるよう作成しました。
記事のむすびに
制作を通じ常に意識していたことに一貫性と独自性のバランスがありました。
単一のイメージを一貫して使うことはブランディングとしても堅固になる面がありますが、ややもすると安易な使い回しを想起させたり制作物として単調になりかねない危険性を孕んでいます。しかしながら独自を追求しても第三者が見た際に既知のなにとイメージを共有させて捉えればいいかがつかめず、結果として伝わらないものが誕生してしまいます。
この記事を五月祭の前に読んだ方は実際のブースで、あとに読んだ方は記憶を思い出し、「ああ、あのときの!」と伝わる瞬間が発生しているならば制作者冥利に尽きる次第です。
五月祭に伴う一連の note はまだまだ続きます、ぜひとも他の記事もご一読ください!