退職後のボランティア

 ハローワークに毎週報告に行かなくてはならない。といってもフルタイムではない。空いている時間、妻がボランティアに誘ってくれた。
 豊島区に新しくできた劇場で、観客を案内するボランティア講習があった。盲人も観劇に招待する。トイレを案内する場合もある。便座までのケースも考え、男性客には男性ボランティア。
 地下鉄まで迎えに行き、階段、エスカレーター、エレベータを登って座席まで案内する。これを目隠体験してみると、よほど慎重に丁寧に案内しなければ、と力が入る。ボランティアは、助けてあげたい、手伝いたい、が強すぎる。ところが、講師は最小限を強調する。劇場に来るような盲人は、じつはほとんど案内など必要としない。押しつけがましい助けは迷惑ですらある。さりげなく、大事なポイントだけ、さらりと、これが難しい。
 盲導犬の対応も教えてもらった。家から劇場、そして2時間の観劇、犬だってトイレに行きたくなる。対応は習ったが、講習は説明だけ、犬はいない。本物の盲導犬がトイレのしぐさをしたときには、私も飼い主さんも慌てたが、ワンちゃんは本当にお利口さんだった。
 「ドラマリーディング」という市民講座も妻が見つけてきた。私はNHK高校放送コンテストアナウンス部門東京4位、妻は朗読部門東京4位、楽勝と思ったら、講師はプロの演出家でレベルが高かった。
 廃校になった小学校に上履きを持って集合。二十名ほとんど主婦だが、読み聞かせや盲人向け朗読ボランティアなど、皆さんそれなりに経験がある。「まずは隣の人の肩をたたきましょう」「向かい合って声をかけてみましょう」インプロビゼーション、アドリブ、即興劇、まるで演劇部に入ったようだったが、朗読にはなかなかたどり着かない。観客に話しかける基礎訓練が続き、芥川龍之介の「蜜柑」が配られたのは五回目。これを各自練習し、演出家に聞いてもらい、アドバイスをもらう。各自好きな作品を選び、十回目の最終発表会で八分間、自由に表現する。
 表現以前に口が回らなくなっている。頬がすぐ疲れてしまう。筋肉が落ちているのだ。毎日一時間口トレ。それには読んでいて面白い題材がいる。妻の本棚から村上春樹の短編集を拝借した。
 練習を録音してみる。自分ではうまく読めたように思っても、マイクはごまかせない。呂律が回っていない、スピードが不安定。それにしても、初めて村上春樹をちゃんと読んだ。面白い。
 他にも、妻や娘が以前読んで面白かったと言っていた本を引っ張り出して練習した。初見でも読めるようになったし、声も出るようになってきた。(放送部時代もこんなに練習してない)
 アナウンサーのように上手に読む必要はない。声を張る必要もない。発表会は教室に二十人、半円形に並べた椅子。真剣に聞いてくれる観客には、ささやいても十分だ。むしろ武骨な朗読のほうが味がある。読み手の人生が垣間見える。私は中折れ帽をかぶり、村上春樹の「人喰い猫」を読んだ。(亡くなった飼い主を食べてしまう猫の話)
 講座の修了生が公民館や老人ホームでボランティアをやっていた。その中にはプロの女優さんもいた。発表会に、そうした先輩方が招待されていた。これはオーディションか。「ぜひ一緒にボランティア」と誘われると思っていた。ところが、私たちが発表会で選んだような作品は、老人ホームでは難しいと教わる。たしかに「人喰い猫」は。。。
 好まれるのは絵本、落語、小学唱歌?お手玉!聴衆は八十、九十なのだ。発表会では「蜘蛛の糸」を何人かが選んだが、老人ホームで同じ作品はかけられない。無償のボランティアだから好きなものが読めるわけではない。公民館の館長さんにも趣味がある。デイケアセンタではスタッフさんの意見が大きい。そう聞いていくうちに諦める人が多かった。
 題材選びに数カ月もかかった。サークルのメンバ各自が候補作を持ち寄り、試しに読んで議論する。「大河で評判の〇〇をテーマに」とか「花見の季節だから」と方針を決め「それならこの作品は」と。Facebookに「朗読題材探し」を開設したのは、そんな背景からだ。
 サークルのメンバにも趣味がある。絵本が好きな人、落語をやりたい人、詩に興味がある人。小学唱歌が好きな人はさすがにいなかったが、「きょうは歌のお兄さんが来てくれました」と紹介されると断れない。歌詞はデイケアセンタが用意している。終わるとアンコールもあった。
 作品が決まると、今度はどの部分を読むか。お年寄りはすぐ寝てしまう。川端でも漱石でも容赦なくカットする。名場面でも「この段落いらない」とばっさり切る。それが快感になってきた。
 一人で読んで聴衆を惹きつけるのは大変だ。数人で手分けすることで、会話と地の文が明確になり、誰の発言か分かりやすい。いつもは演出家の指示に従うだけの女優さんたちも、素人の私たちと一緒に喜々として案を出し合う。立ち位置を決め、少し動きをつける。要所で椅子からスッと立つだけでも、プロがやると決まる。そして衣装選び。
 同期の修了生が、先輩たちとは違う作品を読みたい、別のサークルを立ち上げようと言ってきた。夫婦で両方かけ持つことになってしまった。純文学ではない、軽い面白い作品を持ち寄り、「東海林さだお」の作品に出逢う。週刊誌に連載されたものだ。挿絵も軽妙。それをプロジェクタで投影し、効果音も付けて、公民館の発表会にかけてみた。夏、老人ホームで怪談にも挑戦した。
 中学演劇部では文化祭公演の台本を書き、高校放送部では全関東高校放送劇コンクールにオリジナルを2本書いて優勝した。血が騒ぎ、朗読劇「電話の話」を書いてみた。
 主役は古い黒電話。「わたしは電話、この家にお嫁入りしてきた日を昨日のように思い出します」舞台中央、黒い衣装で語り始める。その家の旦那さん、奥さん、娘さん、ご近所さん、電線をつつくカラスまで登場する。私は家の横に建つ木製の電信柱。戦地から帰ってきた兵隊たちが建ててくれて、それでこの家にも電話を引くことができた。だが、そろそろ腐り始めている。あの頃、電話機は玄関に置かれていた。ご近所が借りにくるからだ。だが、いまかかってくるのはセールスばかり。電話が鳴っても誰もとろうとしない。娘さんは携帯しか使わない。電話機が電信柱と協力して、娘さんの交際を応援する。
 こんなオリジナルを公民館で上演させてもらえたのは、活動実績のおかげだ。先輩方に感謝。
 2004年から9年続いたドラマリーディング講座の総集編として、劇場で発表会をやるという。そこで、「トキワ荘入門」というオリジナルの群読で応募した。手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄などが住んでいたトキワ荘と、そこで生まれた作品を巡る短編。もう一つのサークルでは「柳原白蓮」を題材に、別の方が書いた。朝ドラ「花子とアン」で仲間由紀恵が演じた役だ。晩年、豊島区に住んでいた。両サークルとも選ばれ、晴れて舞台に立つことができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?