連携クリニック

 自宅に高齢の患者がいる家族は、何かあったら医師にすぐに来てもらいたい。老人ホームも同じだ。厚労省は、二十四時間三百六十五日の電話と往診を医師に課している。それは医師にとって大きなハードルだ。
 在宅医療は、医師一人、マンションの一室でも始めることができる。しかし、高い志で始めたのに数年で燃え尽きてしまうのは「あの先生は夜中でもちゃんと電話に出てくれた」「深夜でも往診してくれた」と評判になり、患者が集まったからだ。毎晩こんな電話がかかってくるのだ。
「先生、次来るのはいつでしたっけ」
「薬飲み忘れたんですが」
 半数は緊急ではない。ホッと一眠りすると、今度は、
「トイレで転倒しました」
 打ちどころによって生死に関わる。レントゲンやCTが必要だから、病院に搬送することになる。搬送は救急車に頼むが、在宅医は病院を当たり、事情を説明し、受け入れを許してもらう。病院の手配は在宅医の仕事だ。夜間は十以上当たることも珍しくない。
 家族が119番してしまうことがある。救急隊が病院を探すが、救急隊だって知らない患者だ。病院も夜間は人手が足りない。そう簡単に受け入れてくれない。救急車はたらい回しになる。
「胃瘻(いろう)抜いちゃいました」
 栄養を胃に直接注入するチューブを、患者自身が抜いてしまう。これが一時間もすると自然にふさがるというから、人体はすごい。しかし、再度胃瘻を造設するには入院手術になる。患者にも家族にも負担が大きい。
 在宅医は「穴がふさがらないよう、なにか入れておいて」と伝え、飛んで行くことになる。本当になんでもいいらしい。ペンでもお箸でも指でも!
 昼間診療し、夜もこんな電話に一人で対応していたら、燃え尽きるのも無理はない。家族も悲鳴をあげる。夫が少しでも楽になるようにと、奥様が電子カルテ導入を相談にいらしたことがある。
 医師だって人間である。法事のために休みたい、家族サービスのため休暇をとりたい、飲み会に出たい。どうしても我慢できず、もし緊急の電話がかかってきたらタクシーで往診する、と晩酌を口にする。個人で在宅医療を始めるには、それくらいの覚悟がいる。
 それでも、医師だってインフルエンザにかかる。病気で入院もする。
 ある医師が突然、他社の電子カルテ端末を持ってきた。先輩医師が入院したので、後輩たちで応援するのだという。これでは、若い医師は恐くて在宅医療に踏み出せない。
 「連携クリニック」は、主治医のクリニックに代わり、診療を手伝うクリニックのことで、厚労省も推奨している。患者に事前に「連携クリニックが代わることがあります」と知らせしておくことと、毎月ミーティングを持つことが条件。それだけなのだが、あまり活用されていない。
 理由はお金である(と私は思う)。先輩が後輩に「今度の法事頼む」はできても、「毎晩頼むよ」は無理である。後輩だって患者を抱えている。診療スケジュールをやりくりして先輩の患者も診るのである。夜の電話や往診の頻度は低くても、電話がかかってくるかもしれない、というプレッシャーは大きい。
 法事の一日なら「先輩いいっすよ」「そうはいかないよ」と適当な謝礼でけりがつく。しかし、長く続くなら合理的な精算方法を決めておく必要がある。昼間の診療は予約だから、患者数は予め決まる。一人いくらで払うことができる。夜間当直は難しい。電話ゼロ件かもしれない。高いバイト医師を正月に頼んだが、結局電話がなく「大損した」とこぼす開業医がいた。(まるでギャンブルだ)正月くらいなら諦めもつくが、長期間継続するなら、合理的な料金設定でないと結局、連携する方もされる方も続かない。
 最も合理的なのは、厚労省が決めた診療報酬そのものだ。代わって診療した医師に、その診療の報酬を渡す。同じ深夜でも、問い合わせの電話対応だけなら千円だが、往診して看取って死亡診断書を書くと十万円。さらに末期ガンなどの条件で加算がつく。(それくらい違う)
 合理的だが実現する方法が問題だ。クリニックAがクリニックBの連携クリニックだったとする。Aの医師が夜間、Bの患者の電話に対応する。通常、電子カルテはクリニック単位にできている。Bのカルテを見るには、Bの電子カルテにログインしなければならない。
 当直医はBにログインしてカルテを書く。その診療報酬をBで請求し、Aに支払う。この方法では、Bの算定が正しいか確認が難しい。診療したのはAの医師だから、A側で算定するのが筋だ。しかし、AのカルテにBの患者は登録されていないから、当直医はAのカルテに書くことができない。通常の電子カルテでは。
 それ以前に、当直医は電話を受けたとき「どちらのクリニックですか?」と訊かなければならない。相手は高齢者だ。親族かもしれない。だいたい在宅クリニックの名前は英語名が多く、似ていて紛らわしい。
 クリニック単位に携帯電話を用意し、携帯にAとかBと書いておく案もあるが、連携先が増えてきたら現実的ではない。(一つのクリニックは、九クリニックと連携ができる)
 そこで、当直医がログインしたときには、連携する全クリニックの全患者を検索できるようにした。患者家族の電話番号でも検索できる。どのクリニックの患者か、意識せずに操作できる。報酬算定も当直医が所属するAの事務が行う。すべてが連携クリニックを前提にしたシステムになっている。
 現在、首都圏では、トータル五千人規模を数人の当直医で診ている。夜は交通事情もいいので、広域を効率的に往診できる。クリニック単位で当直バイトを雇うよりコストを抑えられる。名古屋、千葉でも同様の連携を、この電子カルテシステムが支えている。
 あるクリニックに連携を売り込んで半年、足を何度運んでも院長が反対。ところが、急に導入すると事務長から電話。飛んで行くと、院長が脳梗塞で倒れ、退院したのだが麻痺が残っている。夜間対応は基本院長がやっていたから大変だ。奥さんに運転させて往診する、と言い張っていたそうだが、周囲の説得で導入が決まった。年末だった。
 この連携の当直医を経験した医師が、連携を使って独立開業した例もある。中には女医さんもいた。義理人情の応援ではなく、合理的に継続して連携できる仕組みがあれば、女性でも、この過酷な在宅医療を始められる。

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