見出し画像

一人支店長

 シリコンバレー支店に赴任。ソーシャルセキュリティーナンバーを申請。取得後すぐに運転免許試験場へ。カリフォルニア州では転入後十日以内に免許取得が義務付けられている。だが、試験場は転入者であふれ、路上試験の予約は1カ月も先になった。
 路上試験に普通は親の車を使う。子供を心配そうに送り出すお父さんたちを見かけた。移民は友達に借りるが、私は一人支店長だ。レンタカー会社は路上試験には使わせないという。急いで購入。ブルーのBMWは半年先の納車という。しかたがない黒か。ナンバープレートは販売店のディスプレイのまま、郵送されてくるのに数カ月かかる。それまで、なんだか盗難車みたいだ。
 路上試験を受けるには保険が要る。万一のとき日本人が対応してくれる保険会社を選んだ。コールセンタはNY。契約前に車の検査が必要だという。指定された工場はサンフランシスコ湾の反対側だった。盗難車を国際免許で未保険、初めての湾半周、万事がDIYだ。
 朝のテレビ、交通渋滞をヘリコプターから生放送と思ったら、アップル社の駐車場上空だという。男が出社を待ち構えている。ヘッドハンターだ。この年ジョブズが復帰。だが、アップル倒産も噂されていた。カメラがズームインする。チータが獲物をねらうシーンを見ているよう、ここは弱肉強食のサバンナなのだ。
 パクベルのテレビCMもショックだった。(パシフィックベル、カリフォルニアの電話会社)大嵐の中、男たちが電柱を建て、電線を引いている。「我々は二十四時間インフラを提供する」日本は米国の高度な電話サービスを追いかけてきた。フリーダイヤル、家族割引、先輩だと思っていたら、すでに次の段階に進んでいた。その後、あちこちで元パクベル技術者に会った。
 電話会社がインフラに徹する戦略も、ありだと思った。米国では停電が多い。停電すると強盗がやって来る。警報装置が止まるからだ。比較的治安がよいとされるシリコンバレーだが、富裕層も多い。だから、停電があるとパトカーが見回ってくれる。シェリフは町が雇うから、強盗たちは町の予算を把握しているそうだ。
 オフィスで停電を経験した。日本とやりとりしていると深夜になってしまう。数ブロックにわたって街灯も消えた。車まで懐中電灯。強盗も恐いが、強盗に間違われるのも恐い。
 電話なら停電でも使える。電話を使った警報装置を売りにしている警備会社を選んだ。しかし、警備会社は警察に通報するだけ。警報を設定してから忘れ物をとりに戻ったら、パトカーが飛んで来た。ちゃんと機能している。だが間違って警察を呼ぶと、三回目から七万円だったか、罰金をとられる。
 これは聞いた話だが、人里離れた山奥に豪邸を構えたら警官がやってきた。「銃は持っているか」「持っている」「それなら安心だ。不審者は撃ち殺して埋めてしまってくれ」こんな遠くまで来れないからね、ということらしい。
 電話サービスも発想が違ってくる。交換機のバージョンアップなのか、「〇月〇日〇時から〇時の間、30分止まります」と連絡が来た。面白いのは、「代わりに〇月〇日の通話の中から抽選で無料にします」というのだ。抽選が味噌なのだ。全部無料にしたら、皆が電話しようとするだろう。輻輳してしまう。「もしかしたら無料」で補償。そんな手が許されるなら交換機のダウンも恐くないな、と思った。
 共通線信号の研修に参加してみたことがある。交換機間をつなぐ特殊な信号だ。公開で有料の研修など、日本では聞いたことがない。通信会社とメーカが密かに打合せすれば済む。誰がどんな目的で?
 参加者は、地方の電話会社のスタッフだった。差別ではないが、おばちゃんたちなのだ。米国には小さな電話会社がたくさんある。市単位、村単位なんて電話会社もあるそうだ。長距離は大手に中継してもらう。そろそろ共通線を使う時代ですよ、という研修だった。だから、とてつもなく基本的な質問が飛び出す。日本がいかに均質なのか、思い知らされた。
 米国では高速道路も、最初は地方がローカルに作った。それらを順次つないで全国網になったそうだ。長距離電話の中継網も、インターネットのLANとWANも、同様の進化だ。
 四人の支店メンバは数カ月遅れて着任、一人ずつ空港まで出迎えた。オフィス家具は全員そろってから購入しよう。それまではカーペットにあぐらをかき、Sunの段ボール箱を机に。しかし、腰が痛くなる。立ち上がった拍子に机をひっくり返し、ノートPCをクラッシュさせてしまった。買い物に出かけると支店は無人なってしまう。一人支店長はつらい。
 待望の1.5Mbps専用線が開通した。日本のインターネットは、当時まだ64Kbpsだった。米国でもADSLでは500Kbps程度だ。さっそくワークステーションをつないで、あちこちpingを打ってみる。応答速度に感動した。世界のインターネットの中心にいる。
 IP電話も試した。出発前の支店メンバが相手だ。会社のコンピュータ室の様子までヘッドホンに伝わってくる。ネットが空いていれば国際電話より音質がいいようだ。手ごたえを感じ、ガッツポーズで夜食のバーガーキングを頬張る。
 アパートの食器や家具、自動車、ワークステーション、パソコン、すべて私のクレジットカード。とうとう日本から電話がかかってきた。「残高不足です。すぐに入金してください」妻に電話して、緊急融資してもらった。感謝。東京に足を向けて眠れない。

いいなと思ったら応援しよう!