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戦争と技術の歴史

 雨ならアパートで自分史、天気ならカメラを持って出る。ロンドン中心に向かって1時間半歩くと「帝国戦争博物館」があった。紛争・戦争を繰り返し、かつて世界を制覇した英国。
 私は戦争には反対だが、兵器の技術史には興味がある。大学の授業で最も印象に残っているのが村上陽一郎先生の「技術史」だった。講義は中世ヨーロッパの「鎧」から始まった。大将同士が一騎討ちで勝敗を決することで、多くの兵士を救った。そのために鎧は改良された。
 一階には戦車が並んでいる。欧州大戦では、こんなに多種の戦車が開発されたのか。敵の大砲が強力になれば装甲が厚くなる。装甲が強化されれば砲弾が進化する。
 主役は大砲だった。城を攻めた大砲、船に積まれた大砲、そして戦車。大砲の性能が歴史を動かしてきた。その象徴、戦艦ラミリーズの38センチ主砲が、博物館の入口に据え付けてある。本物は圧巻である。敵が38センチなら帝国海軍は46センチ、戦艦大和を造ろうとした人の気持ちも分からなくはない。やがて主役は飛行機、潜水艦、いまやミサイル、ドローンだ。
 コンピュータの戦場でも、メインフレームからミニコン、パソコンに変わり、いまやクラウド、そして5G。
 鎧も戦車も巨大戦艦も、最初は大将の兵器だった。やがて兵士全員が銃を持ち、戦車に乗り、航空編隊になる。戦争は大量殺りくに変貌する。コンピュータも数人のスーパープログラマが御守した時代から、今は新人でも高性能パソコンを所有している。量子コンピュータが次世代の大将兵器か。
 村上先生の試験は「今後、技術はどうなると思うか」の一問だった。熱くなってびっしり書いた。最後に「現代は経済性という宗教が技術を支配している。これは当面変わらないだろう」と結んだ。中世ヨーロッパでは、宗教が戦争を支える建前だったからだ。
 「高性能を量産、安価に」が日本株式会社の宗教だった。だが、大学で退官する教授の講義を聞いた。スイスでは高級腕時計を一人の職人で造っている。イタリアでは超高級車を数人で造っている、大量生産教に染まった当時の学生には、中世の夢物語のように思えた。
 英国を観光、どこか一箇所と尋ねられたら「ポーツマス」を勧める。ロンドンから列車で2時間半、軍港である。スペインやフランスと闘った軍艦から第二次大戦の潜水艦まで展示されている。日本では、明治になって技術は分断される。江戸時代の武器では欧米列強に全く歯がたたなかったからだ。ポーツマスでは、木製帆船の軍艦から蒸気船への変遷を見ることができる。
 英国は、スペインやオランダに遅れて植民地に進出した。アフリカ、インド、マレーシア、ベトナム、中国へと広げていった。広げる過程で先発国と衝突した。それぞれの場所で、それぞれの時代、当時最先端の兵器で勝利して植民地を獲得してきた。
 マレーシアのクアラルンプールの歴史博物館でガイドツアーを申し込んだら、イギリス人と私だけだった。ボランティアのガイドさんは困った顔をした。「いえ気にしませんから」とガイドを始めてもらった。やがて、日本と英国が激しく闘っていたことが分ってきた。ガイドは「イギリスが鉄道を敷いてくれ、日本がそれを奪ってくれました」と苦笑いした。
 英国は、ペナンやシンガポールに巨大な大砲を据え、日本軍を迎え撃つ準備をした。そこで日本軍は陸路、自転車で進軍し、砲台を裏から攻め落とした。その錆びた自転車が展示されている。日本軍の「銀輪部隊」はマレーシアでは有名だ。
 ポーツマスの「海軍博物館」には、英国海軍歴代すべての戦艦模型が展示されている。何年建造、何年退役と解説がついている。私が唯一知っているのは「プリンスオブウェールズ」だ。ダイアナ妃の称号でもあるが、35センチの主砲を持ち、建造も就役も大和と同年、大和のライバル。それを日本海軍はマレー沖で、航空機と魚雷で撃沈した。だが「戦艦ビスマルクと闘った」としか解説はなかった。極東での敗北には口をつぐんでいた。
 ロンドン空襲は隠せない。市民を奮い立たせ、協力してもらうしかない。苦肉の策が地下鉄だった。最初の空襲では市民が殺到し、入場禁止にしたそうだ。しかし、地下鉄のホームを正式に防空壕と決め、専用の切符を発行した。「ロンドン交通博物館」に展示されている。
 さて、ポーツマスには、かつての造船所を再現したコーナーもある。真藤総裁は造船業界から電電公社にやってきたから、よく造船を例にした。大量生産を効率化するため船体の設計を見直した話など。しかし、私たちは改善以前の造船を知らない。
 ポーツマスでは、帆船時代の古きよき造船所を再現している。職工たちは朝、個人所有の道具箱を携えて集まってくる。監督からその日の仕事を割り当ててもらう。子供が父親の弁当を持ってやってくる。代々の職人たちが英国の造船業を担っていた。江戸の職人に似ていると思った。気分で「今日はここまで」。のちに大型貨物船やタンカーを日本や韓国に奪われるのも当然だ。
 「Dデー博物館」も覗きたい。ノルマンディー上陸の主力はポーツマスから出撃した。上陸用舟艇は4千隻も用意したそうだ。実物は驚くほどちゃちだった。連合軍も特攻に近いことをやっていたのだ、と思った。
 戦艦から航空機への転換、英国も遅れた。ロンドン郊外の「空軍博物館」に展示されている爆撃機の多くは、米国やカナダで製造されたものだ。
 カナダ首都オタワの航空博物館には「ランカスター爆撃機」が誇らしげに展示されていた。(設計は英国、製造はカナダ)
 映画「メンフィスベル」は、米国製B17のドキュメンタリー。米国の技術と米国の兵士が憎きドイツを爆撃する。監督は、のちに「ローマの休日」や「ベンハー」を監督するウィリアム・ワイラー。彼はドイツ生まれのユダヤ人だった。
 英国は追い詰められ、兵器の大量生産を連合国に頼んだ。戦後、英国の製造業は衰退し、復活できていない。コンコルドは退役、ハリヤー戦闘機もすでに古い。ランドローバーもジャガーもインドに買われ、ダイソンは本社をシンガポールに移した。一方、敗戦国のドイツや日本は、戦後、製造業で復活する。
 映画「007」が象徴するように、英国の兵器産業はいまも健在だ。ジェームズボンドが使う武器は量産品ではない、中世の鎧のように美しく格好いい職人の仕事。そんな秘密兵器の展示見本市が、ロンドン中心で開かれていた。超小型ミサイルの照準ゲームに子供たちが夢中だ。覗かせてもらうと、砂漠の向こうに敵が見え隠れしている。

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