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支払基金

 CDのプラスチックケースを無料でもらえるところがある。社会保険診療報酬支払基金、略して「支払基金」。東京支部は池袋駅前にあり、我家から徒歩圏だ。
 支払基金とは、病院やクリニックが医療保険を請求するところだ。私たちの負担は三割、残り七割の請求が毎月十日の締め切り。請求データをCDで持ち込む。
 NTTでは請求日を六群に分け、事務の平準化を図っているが、医療保険は全国一律十日だから、支払基金の受付に行列ができる。先月の請求に使われたCDは廃棄され、残ったケースが受付横に積まれる。「自由にお持ちください」となる。
 私はケースをもらいに行ったわけではない。あるクリニックに代わって請求CDを提出に行ったのだ。作ったばかりのプログラムで本物の請求データを作った。十分注意してプログラムしたつもりではあるが、請求額は千万円のオーダだ。「家が近くなんで代わりに出しておきますよ」とクリニックには言った。本番でテストするとは言えない。そして、受付では「〇〇クリニックのほうから来ました」長い行列を背負って「開発業者なんですが、テストしたい」と言うのはためらわれた。「新システムに切り替えたたもんですから心配で」と事務のおじさんを装ってお願いすると、「技術の者に確認させましょう」初老の管理者はこころよく承諾してくれた。
 CDを渡し、受付の横で待つ。「はあい、通りますよお」宅配業者が台車を推して入ってきた。支払基金の担当者が飛び出してきて、特設の受付台で開封し始める。早くできたクリニックは郵便や宅配で送る。行列は十日にできた組だ。受付は十七時半まで。次から次の受付を眺める。これが積みあがり、年間四十兆円になる。
 二〇〇三年、NTTコムウェア時代、医療保険請求のシステムを視察に行った。韓国ではすでにオンライン請求に移行していたのだ。当時、日本はまだ三割、現在でも六割。CDやフロッピーディスクでの請求が三割、紙も残っている。
 紙の請求書は一人では運べない。恐らく病院のスタッフなのだろう。スーツの男女数人が、高さが三十センチもある束を紐で縛り、一人二束抱えて持ち込んでくる。受付嬢が内線電話をかけると男性職員がやってきて別室に運んで行った。(まだ昭和らしい)
 さて、なぜ請求データを作るプログラムを書くことになったのか。
 外来と在宅が別部門というクリニックは多い。在宅部門が私の電子カルテを採用してくれたのだが、外来部門は従来システムを使いたい。導入を急ぐ打開策として、請求データを統合する小さなプログラムを書いた。難しいロジックなどない。しかし、テストができない。もちろん、データの目視点検はした。しかし、支払基金のシステムが正しく読み込んでくれるだろうか。
 万一のときには翌月、再請求ができる。しかし、再請求になればクリニックへの入金は遅れる。通常翌々月だが、さらに一カ月遅れてしまう。それに、もし今回の請求の中に再請求分があれば、それは無効になってしまう。なんとしても点検してもらわなければ帰れない。
 システム間のデータ授受にトラブルはつきものだ。交換機間の通信データのフォーマット、AIシステムと画像システム間のデータフォーマットなど、苦い経験をしてきている。
 ぼんやり受付を眺めていた私の肩をたたく人がいた。「データ読めませんでした」え、エラー内容は?「技術の者を呼んできます」作業服を着たお兄さんがやってきた。「最後の一バイトがエラーです」最後は改行コードですよね。「いえ、ゼロです。改行コードのあとにゼロ」
 家までの徒歩二十分がもったいない。タクシーに飛び乗り、プログラムを直し、CDを焼いて、再びタクシーに。行列に並び、初老の管理者、そして作業服の技術者「ゼロのあとに改行が入ってますね」再びタクシー。
 十七時半に近づき、行列は消えていた。待っていた管理者が「技術の者いま帰宅してしまいました。明日の朝来てください」しかし、明日は土曜。「このフロアまで来たら、この番号にかけてください」土曜の朝、誰も居ない廊下で待つ。結果はOKだった。
 無料のCDケースは、朗読ボランティアのDVDを配布するとき使わせてもらっている。だが、まだ山積みのケースは、オンライン請求が普及していないことを示している。

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