アラサー、大人にならない宣言
私の理想の大人像は『ブラックコーヒーが飲めて、周囲から信頼されていて、でもどこかニヒルで食えない人』というものでした。
恐らくこの理想の大人像というのは幼い頃に父親と見たエヴァンゲリオンの登場人物でもある、加持リョウジがカッコいい大人として印象に残っていたからというのもあると思います。
理想の大人像というのは誰しも持っていると思います。
精神的にも金銭的にも余裕があるだとか、仕事で周囲から信頼されているだとか、自分という形を持っているだとか、そういう難しい話だけでは無くて、コーヒーが好きでブラックで飲めるだとか、お酒が愉しめるだとか、そういう些細な部分でも良いです。
理想の大人像というものに対して多くの人はそういう些細な部分、つまりは形から入っていくと思うからです。
成人から見る大人
大人像も年齢と共に変化が生じてきます。
私は、趣味をしないというのが大人だなって見えてくるようになったのです。
成人を過ぎると周りの同世代の人たちが1人また1人と、結婚し始めて子育てが始まります。私と同様に多趣味だった友人たちも、多くがミニバンに乗り換えて持ち家を所有するようになりました。
たまに会えば
『またスポーツカーに乗りたいなぁだとか』
『古着を沢山買いたいなぁ』
『キャンプしたいなぁ』そういう愚痴が始まります。それに対して私が
『そんなに言うなら買えばいいじゃない』と言っても、家族が許さないし何よりそんな余裕は無いよと言われるのがお決まりです。
しかし、声色は決して何かを諦めたようなトーンでは無く、新しい幸せを見つけたような充実感が伝わって来るので、私もそれ以上再びコチラ側に戻るようにも言いません。
守るモノが出来た代わりに、趣味をしなくなったのが私には大人に見えるのでしょう。
仕事ではどうでしょうか。
20歳で今の職場に入社して間も無い頃は、自分以外の人間はスーパー仕事出来る人ばかりでした。
冷静沈着に目の前の業務をミス無く遂行し、真剣に取り組んでると思いきや、急にウィットに富んだ冗談を言ってくる、そんなどこかチャーミーなギャップを持った人が多かったので、仕事が出来る大人とはこういうものだと自然と思うようになっていたのです。
私が入社して最初の4年くらいは労働基準法なんて知らないと言わんばかりに、青天井の残業時間や休日出勤が当たり前だったので、そういう事も我慢するのが大人なんだろうなともイヤイヤながら感じてもいました。
プライベートにしても、仕事にしても20歳を超えてから大人に見える人たちに共通して言えるのは“自分の願望を抑えて何かを支える”を実行しているという事です。
変わらない私
想像出来ない毎日
さて、アラサーを迎えた私はどうでしょうか。
なんと、この私が2年も同棲生活をしています。それも出会って4日でです。そしてさらに毎日料理をするようになりました。日本酒が好きになりました。
想像がつかない事ばかりです。
一方で相変わらず多趣味です。乗り物なんて1人で3台も所有しています。このご時世にハイオク指定のクルマに乗って、キャンプもします。パートナーは笑って許してくれていますよ。それからコーヒーは味の違いが分からないです。コーヒーはコーヒーの味しかしません。ブラックコーヒーなんて苦くて飲めません。ミルクと砂糖をドバドバ入れます。お気に入りはスターバックスのホワイトモカです。
仕事では、言葉遣いや、メールの誤字脱字、FAXの用紙サイズの間違いのなどなど細かいミスを毎日しています。現場の方から怒鳴られる事はあっても、会社に損害を与えるようなミスが無いのが幸いでしょうか。昨年遂に役職が付いて、優秀社員として表彰されたりなんて出来事もありました。でもこっそり嫌な案件は上司や他の人にキラーパスしている事もあります。残業はほとんどやらなくなりましたし、そもそも規制がかかるようになりました。
仕事も想像がつかないような事ばかりです。
しかし、どちらにしても20代の頃に見ていた“大人像”とは私はかけ離れています。20代の私が今の私を見たら大人に見えるのでしょうか。
アラサーになっても私は『ブラックコーヒーが飲めて、周囲から信頼されていて、でもどこかニヒルで食えない人』にはなれていません。
パートナーと同棲して、毎日料理をします。でも、1人で乗り物3台も所有して、趣味がどんどん増えてブラックコーヒーが嫌いで、スターバックスのホワイトモカがお気に入りで、仕事では他人に押し付けるしメールは誤字脱字をするしFAXの向きは間違えます。
全然加持リョウジではありません。同じ声優で言えばアンパンマンのカバオくんタイプです。
それでも、こんな私と一緒に遊んでくれる友人がいたり、仕事では評価されているのでちゃんと“大人”をしているんだと思っています。
もしかしたら、20代の頃に大人に見えていた上司・先輩たちだって仕事でキラーパスをし合っていたのかも知れませんし、プライベートでは家族を顧みずに趣味に散財していたのかも知れません。加持リョウジだってFAXの送信向きを間違えていたのかも知れません。事実を知る術は今更無いのです。
みんな“大人びて見えていた”だけなのかも知れません。
大人にならない宣言
私自身が、あの頃感じていた“大人像”には全然近づけていません。むしろ10代から性格は変わっていない気がします。
しかし、そんな私を評価してくれる会社や友人達がいます。
この歳からブラックコーヒーを楽しめるようにもなれませんし、趣味を辞める事も出来ません、仕事では今日も些細なミスをしてしまうと思います。
一方で、形から大人になろうとして意固地にならなかったからこそ、ホワイトモカは美味しいと気が付けましたし、趣味を辞めなかったからこそ知り合った人達が居るのです。仕事では誤字脱字やFAXのサイズを間違えて送信してしまい、慌てて先方へ訂正の電話をします。それに対して、いつまでも初々しいというか、人間くさい私が面白いと言ってくれる取引先や同僚が居ます。
20代の頃の私に“こんな大人になっちゃったよ。でもこういう大人の方が絶対面白いだろ?”と言いながら、今日も自分に誇りを持って過ごそうと思います。
これが、私のあの頃に思い描いていた大人にはならない宣言です。