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工イリアソ 口厶丿レス

『エイリアン・ロムルス』を観る。
予想外に面白かった映画オブ・ザ・イヤー。
観る前は、というか製作発表されてティザーを観た時は「ぜってぇつまらねぇわこれ」と謎の確信を持っていた。後述するが、俺の大好きブロムカンプがエイリアンを降ろされたことに対する恨みもあった。
さらに言えば、あらすじがどうも受け付けなかった。「若者数人が廃棄されたウェイランド・ユタニの宇宙船に乗り込んだらエイリアンに襲われて死にまくりました」というあらすじに「こんなんただのキャンプ映画じゃねーか!」と思わずにはいられない。これはどう考えても夏休みにキャンプ場に来たら殺人鬼に襲われちゃった系B級スプラッタホラー映画の宇宙版である。無論初代もSFゴシックホラーとしての味わいがあるが、それにしてもネタが安っぽすぎる。
こうしたことから俺は『ニューフェイト』や『ロボコップ2014』や『フォースの覚醒』クオリティを想像していたのであった。
だがいざ鑑賞を終えると、どうにも文句のつけようがない出来であった。
観客に対する目配せをしっかりとしているあたりが実に心憎い。
特にイントロで宇宙船が起動するシークエンス。これが初代のオマージュであることは明白だ。また、終盤のエレベーター付近の床を這っているスモーク混じりのスキャナー光やパルスライフルの撃ち方を教えるシーンは、2を模したものだろう。さらにゼノモーフ研究ために暴走するシンセティックは、1作目やコヴェナントの向きもある。
シン・ゴジラに比肩するほどのファンサービス満載映画である(ただシン・ゴジラほど新規性はなかったが)。
話自体も大きな破綻はないため、特に不満もない。
画も中々よく、窓越しに惑星の輪を背景にした画が、パララックス好きな俺の心をくすぐる。
無理矢理あら探しをしても出てくるのは、なんで監督がブロムカンプじゃないのかということくらいか。
ブロムカンプは80年代SF映画の正統な後継者と言っても過言ではないくらい優れたフィルムメーカーであるからして、俺はブロムカンプがエイリアン新作を監督することも当然のように思っていた。
だがあにはからんや、リドリー・スコットのジジイが潰しやがったせいでお蔵入りである。その後グランツーリスモで職を得るまで冷や飯をくわされたブロムカンプの気持ちを考えると涙が止まらない。まったく、エイリアンとロボコップのリメイク撮るために生まれてきたような人が監督に選ばれなかったのはどういうことなのだろうか(責任者出てこい)。
ただ、弟が死んでからのリドリー・スコットは厭世的というか悪意というか、そういう「クソみてーな人類に対して限りなくひどいことをしてやるぜ」っていうと意識を感じるため、おそらくそこら辺の方向性が2信者のブロムカンプと合わなかったのではなかろうかとは思う。
最近のリドリー・スコットは『コヴェナント』において『A.I.』の時のスピルバーグみたく洒脱にサラッと滅ぼしてやる、ある種の温情なんて欠片もなく、老若男女関係なく気持ち悪い化け物に寄生させて新人類ゼノモーフ創造のための踏み台にしてやるという、変態倒錯的な創造と破壊を併せ持つエゲつない滅亡を夢見ているのが恐ろしい。何が恐ろしいって人間を殺す、ではなく犯すというところが。レイプさせた上に変なものを孕ませて胸に大穴開けてぶっ殺すなんていうのはドス黒い悪意以外の何物でもない。
さらにそこからアンドロイド(合成人間シンセティック)による「父殺し」あるいは「被造物による創造主の殺害」といったテーマまで滲ませてくるのだからとんでもない作品である。
だから『コヴェナント』におけるゼノモーフというのは1作目の「企業の道具」的側面をさらに深化させ、人間を犯す道具としての機能を先鋭化させた、ある種1作目の正当な系譜に連なる描かれ方をしているのだ。
ただそれが面白いかというと別に特に面白くない。すごいとは思うけども。
さらに言えばそれはつまり、絶対的で完全無欠な変態モンスターを人間レベルの存在に矮小化させてしまうという欠点を持たせることと同義である。リドリー・スコットはともかく、他の監督はなんとなくゼノモーフを制御不可能で神性な存在だという捉え方をしているように思う(キャメロンですら「企業が道具として利用しようとしたが制御不可能だった」という自然に手を加えてはいけない系のノリである。フィンチャーの場合はゴタゴタがあったせいでちょっと監督本人の思想が伝わってこないが)。
そして観客も単なる道具に堕したゼノモーフなど見たくないのだ。無論前述の通り、ゼノモーフはそもそもからして人間の道具としての役割しか背負っていないが、その事実はあまり目立つことがないため、観客はギーガーの強烈なデザインに引っ張られて神性なゼノモーフ像を自身の中に構築してしまうのである。
恐らくブロムカンプが描きたかったのなそうした観客が望むおどろおどろしいゼノモーフではないのだろうか。そこに彼の得意とするヒューマニズムを排したエゲつないSFガジェットを投入し、グロテスクで心躍るアクション映画に仕立てようとしたに違いない。俺が最も見たかったのはそういう映画だ。だかリドリー・スコット様的にはだいぶ不満があったらしく、これはあえなく没になってしまった。俺はリドリー・スコットの映画が好きだし、すごいとも思うが(少なくともカメラワークの「重さ」に関して言えばこの人に勝てる人もおるまい。オデッセイですら軽薄にならないのは驚きである。マイケル・ベイなど比べ物にならないくらい重く、別種のカッコよさをもっている。マイケル・ベイの方がカッコいいけど)、こればかりはどうにも解せない話である。
リドスコ許すまじ。
しかしまあ、実在の映画と存在しない映画を比較する、ヴィルヌーヴと幻のホドロフスキー版DUNEを比べるみたいな愚行をしてもしょうがないので、ここらでこの話題は止める。

また、リドスコやキャメロンと比べると作家性もやや薄く感じた。ロムルス鑑賞前にエイリアン2を観直したが、あまりにも面白すぎる。やることなすこと派手な割に、描写のディテールを細かく積み重ねているので、展開に無理がないのである(やはりキャメロン、天才か?)。そうした往年の名作相手のロムルスでは分が悪すぎる。
他にも公開前のプロモーションでアニマトロニクスを使っていることを余計にアピールしていたのも気に食わない。普通にVFXを前面に押し出せばよいではないか。スタッフロールを見ればわかるが、昨今の映画の例に漏れず、この映画に携わったVFXアーティストの数は凄まじく、ロールがVFX欄に差し掛かったところで一気に白文字が増える。ここからゼノモーフにアニマトロニクス云々言いつつも大部分はCGIで動かされているということが察せられるのだ。
つまるところ作品の核であるゼノモーフを演出しているのはVFX班なのである。
にもかかわらず彼らの功労がプッシュされないのが、どうにも不誠実に感じられてならない。
あとはちょっと過去作におもねりすぎていて新規性を感じられないというところが少し気になった。
ロムルスは過去作に対するリスペクトも感じられるし、展開は早いし、ちゃんとパルスライフルも出てきて大暴れするし、総じて面白いが、それ故に実に優等生的な作品に留まってしまった感がある。エイリアン2に比べて冒険心があまり感じられないため、もう少し暴れてほしかった気もする。予算の都合だろうか?
それだけにブロムカンプ版も見たいという欲望はおさまらないが、現状における至高の一作であることは間違いない。
だからみんなでお布施して高い興行収入を打ち出し、ブロムカンプのエイリアン5監督登板への道筋を作ってあげてほしい。

みんな観に行くのだっ!

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