見出し画像

『ブルータリスト』を観る

バウハウスやブルータリズム建築が割と好きな自分でも、この映画は嫌いである。ジョーカー2以来だろうか、ここまで「嫌い」とはっきり言いたくなる映画は。
A24がこの映画を配給したのも納得だ。ハリボテを体現したような薄味のカルピス。A24らしい無駄ばかりで退屈な時間が延々と続くあの感じが、今回は特に苦痛だった。

視覚表現については称賛に値する部分がある。レイアウトやライティングは魅力的であり、建築物を被写体としたショットには図面を思わせる意匠が凝らされている。俺は学生時代に一瞬(マジでほんの一瞬だけ)製図を学んだことがあり、CADもちょっと(マジでほんのちょっとだけ)触ったので、特に感慨深く感じられた。さらにスタッフロールのデザインも独特で、1000万ドルという低予算を誤魔化すための工夫が施されているのは見事だった。本多猪四郎が言ったように、映画は視覚表現が命だ。その点において、スタイリングにこだわる姿勢は評価したい。
しかし、この映画はそのスタイリングに甘えているだけで、中身が伴っていない。話の主軸というものが存在しないのである。ダイアローグは退屈そのもの。低予算を隠すためか、やたらと寄りの画が多く、視覚的な窮屈さを感じさせる。遠景では魅力的な構図を見せながら、近景になると途端に息苦しくなるのは、この映画の中身のなさを象徴しているかのようだ。

演出は過剰で大仰、さらに貴族主義がむき出しで鼻についた。スタイリングに依存した結果、編集は疎かになり、長回しや無駄な間が多すぎてテンポが悪い。特に、妻が夫の強姦被害を告発するシーンの無駄な長回しやソープオペラ調の安っぽさには閉口した。あのシーンは感情の緊迫感を高めるどころか、冗長で観客を置き去りにしている。
また、スタッフロールの無音演出は自己陶酔が過ぎる。昨日観た『パージ〜』は、デヴィッド・ボウイの『I'm Afraid Of Americans』(ひたすら「アメリカ人怖すぎワロタw」と言いまくる歌)に合わせてアメリカ国旗を揺らし、グリッチノイズから暗転してスタッフロールに入るという見事な終わり方をしていた。それに対して、『ブルータリスト』の引き延ばされた無音のスタッフロールは、ただ「イラッ」とさせられるだけだった。パージの方が遥かにうまく世の中の不寛容を表現できていると思う。

ホロコースト、ユダヤ人のアイデンティティ、アメリカン・ドリーム、移民問題、芸術と美の本質など、それっぽいテーマが羅列されているが、いずれもただの虚飾に過ぎない。オスカー会員に媚びるために盛り込まれた要素が透けて見え、退屈さが倍増している。
特に、劇中でガイ・ピアース演じるハリソン・ヴァン・ビューレンが「我々の会話は“知的”、だよね?」と言うシーンは、映画全体の「見た目だけは取り繕って中身はすっからかん」な様子を象徴しているかのようだ。監督はヴァン・ビューレンの小物感を演出したつもりだろうが、むしろこの映画自体の虚飾を暴いているように感じた。
また、ホロコーストやユダヤ人の苦悩を安直に持ち出す姿勢は、思慮の浅さを露呈している。特にラストの姪のスピーチはあまりに露骨で、「今の時代に民族主義かよ」と唖然とさせられた。仮にこの態度に異を唱えるのが監督の狙いだとしても、それを表現するためにここまで冗長な尺を費やす必要はあったのか疑問が残る。

この映画は、視覚表現の巧妙さに頼り切った虚飾の塊だ。スタイリングだけは一流だが、内容のどうでもよさを隠すことはできていない。英語圏の「The Brutalist was brutally fucking boring.」という感想が、この映画を最も端的に表現していると思う。まったく同感である。
なお、日本版ポスターのキャッチコピー「荒ぶる、たぎる」には首をかしげた。全く荒ぶってもたぎってもおらず、ミスマッチが甚だしい。元々かっこいいポスターなので、余計な文言は入れない方が良かったのではないかと思う。
アメリカで不評を買ったのも納得の出来。虚飾を凝らして賞を狙うことに執心した結果、映画そのものの魂が抜け落ちてしまっている。

スタイリングに騙されないように気をつけるべき作品である。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集