ゲームの王国
地雷グリコを読む。
『あの頃の記憶』、というものがある。夏の晴天の下、ひまわり畑を横断する道の上でこちらを振り返り笑みを浮かべる麦わら帽子に白ワンピースを纏う少女のごとく、それは俺たちの中で本来存在しない記憶として存在し続ける。
地雷グリコもそうした、存在しないあの頃の、“青春”という記憶と結びついたノスタルジーを、新海誠の作品ほどセンチメンタルではない形で喚起させることに成功している作品だった。
ゲームの内容がどれも現実でもプレイ可能で、高校生という枠からはみ出さないところがそうした雰囲気を醸成していると感じる。俺は「勝負事は殴り合いで決着をつけろ。ただし俺以外の奴と」という価値観でいるので果たして頭脳戦を楽しめるか不安だったが、これはルールもシンプルな上にどちらかというと盤外戦がメインなので最悪ルールを把握しきれていなくても楽しめる優しい仕様であった。これで舞台がいわゆるギャンブル専門学校とかで、本格的な設備を用いて行うゲームだったら恐らくここまで魅力的な作品になっていなかったのではあるまいか。そうした意味でギャンブル専門学校を敵対する他校という形で作中に配置し、最後にそこに対する本格的な侵略を示唆して終わるという構成にしたことはバランスが取れていると感じた。
この青崎有吾という作家はどうやらかなりバランス感覚のある人らしい。作中の何気ない会話から本筋のゲーム内容に至るまで過不足なく描かれている。これがなんとも心地よく、読んでいる間にストレスを感じることがない。キャラクターも好きになれるし、あの頃の、高校生という時間を自身の記憶と結びつけて追体験し、確かにノスタルジーを感じることができる。
これで思い出すのは漫画『バクマン』の作中作として登場した『PCP』。色々言われてるバクマンだが、俺はあのPCPの現実的なコンセプトが好きだ。少年というものが持つ“時間”というやつをよく捉えている。
この地雷グリコはそうした高校生という数少ない時間というやつをゲームを通して見事に表現してみせたのだった。
それはとてもとても心地よくて同時に切なさを覚える貴重な体験である。こうした小説はあまり多くないので大切にしていきたい。
なので決めた。俺はこの青崎有吾のファンになろう、と。
終
追記:20240617時点で直木賞候補作だそうだ。個人的に直木賞というと西加奈子の『サラバ』という超つまらない小説(好きな人いたらごめんなさい)のイメージしかなかったので、そうした直木賞=つまらないという認識は改めねばならぬようだ。
追記その2:ところで作中透けブラの描写がしつこかったので、「これもまた作者が撒いた布石に違いない!」としたり顔で睨んでいたのだが、ほんとにマジで特に何もなくガチで終わった。
……ふーん。