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絶望 ダウン症の告知を受けた親の心境

ダウン症のアップ君が生まれた時の心境を改めて書き留めます。これから同じような心境になる方へ少しでも励みになれば!
少し凹む描写もありますが、息子は私たち家族にとても大きな幸せを運んできてくれました。そう思って読んでください。


エコー(超音波写真)での判別はできなかった

エコー(超音波写真)での判別はできなかった
妊娠時期に何度もエコーでお腹の中の胎児をみます。ダウン症児は出生前診断を受けなくともエコーでみた胎児の特徴で疑いが出てくるケースも少なくありません。

四肢短縮症(ししたんしゅくしょう)と言う、手足が短い特徴があったり、心臓の穴がエコーや心音で異常が確認できた場合などがダウン症児の特徴として多いようです。

ダウン症の息子は「気にするほどではありませんが、少し手足が短いですね」と言われたのですが、「遺伝だね」などと気楽に笑っていました。

しかも8ヵ月目には健常な胎児と変わらない体重と手足の長さに戻っていたので、私たち夫婦はダウン症とは一切疑わず、産まれてくる息子に会えるのを心待ちにしていたのです。

もし胎児の状態でダウン症と判断できていれば、私たちはどうしていたのでしょうか、、、


誕生から告知まで

生まれた瞬間

2013年8月18日、第二子のアップ君が生まれました。待望の男の子です。父親の私としては、遊び相手の誕生でもあります。一緒にゲームをしたり、虫取りに行ったり、サッカーしたり、キャッチボールしたり、大きくなったら酒を酌み交わしたり、、、将来の楽しいイベントが頭の中でどんどん大きくなっていきました。

生まれた時の顔を見ても、ダウン症なんて頭の片隅にもなかったので、それを疑うことは一切ありません。生まれたてはサルのようだと揶揄されますが、我が子の可愛さは他の子供たちとは別格だと思っていたぐらいです。

今生まれた時の写真を見るとやはりダウン症の特徴が多く出ている顔つきです。女のカンでしょうか、妻は「もしかして!」と感じたそうです。

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衝撃の告知

生まれた日の夜、私は家に帰り、3歳の娘の写真を眺めながら、昔を思い出していました。そんな時、妻からの一本の電話。

「血液中の酸素濃度が低くて、今から大きな病院に転院するからそっちに行って欲しい」

この時はまだ深刻に考えもせず、山王病院と言う大きな病院へ向かい、家族4人で過ごす将来像を思い描いていました。

そして息子が救急車の中からストレッチャーに乗せられ病院に入ってきました。あまりに深刻な顔をした看護師さんの表情に、私も少し困惑しながら、NICU内の待合室で検査結果を待っていました。

程なくして当直医と思われる先生から検査結果を伝えられました。先生と看護師さんと私で、保育器に入った息子を囲んだ状態。目の前にはスヤスヤ寝ている息子。

「息子さんの心臓には2つ小さな穴があり、これが原因で血中酸素濃度が低下しています」

頷きながら真剣に聞いている私に、最後衝撃が走りました。

「お父さん、息子さんはおそらくダウン症と思われます」

散弾銃で頭を撃ち抜かれたような衝撃でした。思い描いていた将来像が全て最悪なイメージに塗り替えられて行くのです。

周りからの目を気にしながら知的障害を持つ息子を一生面倒見ていく。キャッチボールもできない、サッカーもできない、お酒も一緒に飲めない、老後妻と海外生活もできない、もう何もできない、、、

「少し息子と二人にしてください」

先生にお願いし、嗚咽が止まらないほど息子の前で泣きました。多分健康に産んであげられなかった息子への謝罪の念や、哀れんで泣いていたのではありません。自分は不幸だと思って泣いていたのだと思います。私は最低な父親です。



妻への告知

病院の駐車場で泣きながら、心配している妻へどう伝えるかを考えました。ダウン症の事実を告げるべきか?隠すべきか?

  • 妻の前では絶対に泣かない

  • 妻 娘 ダウン症の息子を全力で支える

この2つを強く心に誓い、産婦人科へ向かう途中妻にありのままを伝えることに決めました。

妻が入院している病院に着くと心配そうな表情をうかべる妻。泣きそうになる気持ちを抑え、先生から言われたことを淡々と話し始めました。そして最後に、

「心して聞いてな、、、あの子ダウン症なんだって」

私が告知された時と同じく、取り乱し泣きじゃくる妻。それをなだめる私は不思議と涙も出ず、気丈に構えていました。

「ごめんね」を繰り返し、責任を全て追おうとする妻に、父である私にも当然責任はあるし、誰も悪くはないとなだめていました。

お腹を痛めて産んだ子供なので、父親には分かり得ない感情が母親にはあるんでしょうか。この辛い気持ちを和らげてあげられるのは私しかいないと強く感じたのが、ダウン症児を育てる一つ目の覚悟だったのかもしれません。


家族への告知

約一ヶ月後に染色体検査の結果が出ます。
検査結果が出るまで家族には伝えないのか、それともすぐに伝えるのか、妻と悩みました。

「明日はお義父さんもお義母さんも来るから、ダウン症かもしれないって伝えようと思うんだけど」

妻に提案し、承諾を得ました。

ダウン症と知らずに孫を可愛がっている祖父母を、私たち二人はとても見ていられないと思ったのです。さらに時間が経てば経つほど衝撃も大きくなってしまうと考えました。

次の日、妻の両親と妹のが病室まで来てくれました。あらかじめ話があると伝えていたので、心配そうな面持ちで私たちを見てくれています。

私から伝えるつもりだったのですが、自分の両親には自分で伝えたいと妻が言うので、私は側にいるだけです。

「昨日生まれた孫だけどね、実はダウン症だったみたい、、、ごめんなさい」

義父母も妹も絶句です。自分の悲しみというより、私たちにどう声を掛けたらいいのかわからないのでしょう。困惑の表情を浮かべながら、色々勇気付けて下さるご両親。号泣しながらも妻に寄り添ってくれている妹。今思えば本当にありがたい言葉を沢山かけてもらいました。

続いて私の両親への報告です。実家は神戸なので震える指を押さえながら母へ電話をしました。

「お袋、昨日生まれた息子やねんけど、、、、ダウン症らしいわ」

妻の両親と同じ反応。絶句からの激励の言葉。

「一緒に育てていこう」「あんたなら大丈夫」「どんな孫でも可愛いよ」

大人になって初めて母親の前で泣いてしまいました。

そして年末年始しか会うことのない父親から初めてメールが届きました。

「お前が泣いていたら奥さんが不安がるやろ!泣くのは俺が死んだときだけにしとけ!」

親父らしい励ましのメールに耐えられず、また一人で号泣。


生まれて1年後に思っていたこと

我が家には毎日笑顔が溢れています。我が息子のゆっくりとした成長が幸せで仕方がありません。

ダウン症児はとても穏やかで、いつもニコニコしています。その笑顔が周りを笑顔に変えてくれるのです。

これから大きくなるにつれ大変なのかもしれません。しかしそれはダウン症児でなくても一緒だと思います。イヤイヤ期があり、反抗期があり、思春期があり、将来への不安があり、太ったり、ニキビができたり、他の子ども達と同じです。

プロ野球選手や宇宙飛行士にはなれないかもしれません。でも世の中のダウン症者は書道家、音楽家、経営者、写真家、パティシエ、俳優等多種多様な仕事をしています。そんな有名な人たちはほんの一部かもしれませんが、多くのダウン症者が働き、両親と幸せに暮らしています。(そもそも健常者でも有名な人たちは本の一部ですよね)

他の子ども達と変わらないのであれば、可愛い時期が長く、穏やかで、周りを笑顔に変えてくれるダウン症児も”かわいい”我が子なのではないでしょうか。

ある心理学者の本を読んだときこう書かれていました。

”障害者の親は諦めから覚悟がうまれる”

私の周りのダウン症を支える親にはこの言葉は当てはまりません。

”ダウン症児の親は我が子への愛から覚悟がうまれる”

と私は考えています。私は我が息子の父親になれて幸せです。


生まれて8年後の今思うこと

もう毎日ヤンチャでヤンチャで。「ダウン症を持った子は育てやすい」って言ってたのに、健常のお姉ちゃんと同じようにイヤイヤ期が来て、飛んで跳ねて子供らしく遊びまわっています。

彼のおかげで沢山友達ができました。彼のおかげで今まで見たことのない世界が見れました。彼のおかげで人に優しくなれました。彼のおかげで幸せな人生だとより思えるようになりました。

そして「ダウン症を持った子は周りを笑顔にする」ってよく言われる理由がわかりました。だっていつもニコニコしてるんですもん。

私は我が息子の父親になれて幸せです。


SNSに投稿したダウン症告知の心境

彼が生まれた時の心境は、過去にYouTubeやVoicyでも投稿していますので、そちらもぜひご覧ください。



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