入学試験と「とくしか」の思い出
中学校の入学試験の日。緊張で汗ばんだ手で鉛筆を握りしめながら、私は問題用紙を眺めていました。国語の漢字の書き取り問題に差し掛かり、目に飛び込んできた一問。
「『とくしか』という言葉を書きなさい。」
「とくしか?……聞いたことないぞ?」
頭の中が真っ白になりました。意味も、ましてや漢字もまったく浮かびません。隣の席の鉛筆の音だけが響いて、時間だけがどんどん過ぎていきます。
「何も書かないよりは、何か書いた方がいい。」
そう考えた私は、とりあえず「得鹿」と答案用紙に書き込みました。
「これで、まぐれで当たったらラッキーだな。」
自分を納得させるようにそう思い込みながら、次の問題に進みましたが、心のどこかで「絶対に違うよな……」と感じていました。
試験が終わり、家に帰ると母に聞いてみました。
「『とくしか』って、どういう字を書くの?」
母も「そんな言葉聞いたことがないわね」と首をかしげるばかり。
数日後、学校からの解答解説が配られ、私はその正解を見て愕然としました。
「篤志家」
「えっ、篤志家ってこんな言葉だったの!?」
篤志家という言葉の意味も知らなかった私は、漢字どころかその存在すら理解していませんでした。「得鹿」と書いた自分が恥ずかしくて仕方ありませんでした。
あれから30年以上経ちます。あの日の試験で「得鹿」と書いた記憶は、今も時折思い出されます。
「どうしてあんな変な漢字を書いたんだろう……。」
恥ずかしさとともに、「知らなかった」ということが今になっても鮮明に残るのです。
しかし、あの失敗のおかげで「篤志家」という言葉を覚えました。意味を調べてみると、他人や社会のために尽力する人を指す言葉だと知り、正解をただ覚えるだけでなく、その背景にも興味を持つようになりました。
今では、篤志家の話を聞くたびに「あの試験がなければ、知らずにいた言葉だったな」と懐かしい気持ちになります。
教訓
「失敗もまた、大切な学びの一つになる。」
この物語は、入学試験での失敗を通じて、新しい言葉や知識に出会い、それが長い人生の中で役立つことがあるということを教えてくれます。