【ショートショート】タイムマシンの行先は

 男が黒いカバンを持ち上げて歩き出そうとした瞬間、物陰から大勢の刑事がいっせいに飛び出してきた。

 うろたえた男は身動き一つ出来ない。

 刑事たちは次々と男に飛び掛り、身柄を拘束した。

 待機していたパトカーが何台も集まってきた。制服警官の姿も見え始めた。

 何事かを叫びながら男は闇雲に暴れまわる。しかし抵抗むなしくパトカーに押し込まれた。

 そんな騒動の中で、一人の制服警官が目に留まった。どことなく俺に似ていたからだ。とは言っても当時の俺よりも随分年を食っていた。彼は男が取ろうとしていた黒いカバンを重そうに提げていた。

 大勢の人間が行き交う間をすり抜けるように、黒いカバンを手にした警官は一人あらぬ方向へと歩き出し、そのまま姿を消した。その直前、チラリとこちらを見たような気がした。

 あれは確か1984年のことだ。高校生の頃に自宅マンションから目撃した光景が突然脳裏に甦り、俺は呆然となった。

「あの、どうかしましたか?」

 その声で我に帰る。

「いえ、別に……」

 たった今思いついた考えを悟れまいと、あいまいに笑って見せるが、どうしても視線が泳いでしまう。その先に写真立てがあった。美形の青年が写っている。

「これは?」

 咄嗟に出た俺の質問に、博士は照れくさそうに笑う。

「ああ、この研究を始めた頃の私だ。スマートだろ?私にもこんな時代があったんだよ。ずっと引きこもって研究を続けていたせいもあって、今じゃこの有様だ」

 そう言ってでっぷりと飛び出した腹の肉をつかんだ。しかし写真との違いはそれだけではない。肌はたるみ、顔の輪郭も崩れ、白髪混じりの頭髪はまばらになっている。同一人物とはとても思えない。

「君はどうだね?若い頃と比べて」

「幸いなことに、体型はほとんど変わっていないんです」

「羨ましいねぇ」と羨望の眼差しで俺を見た博士は、不意に頭を下げた。

「しかし、君には感謝しているよ。様々なメディアや記者に案内状を出してはみたものの梨の礫。まともに取材に来てくれたのは君だけなのだから」

 突然送りつけられた手紙には信じがたい一文が記されていた。おまけに差出人は無名の科学者。取り合わないのが普通だろう。しかし俺は違った。別に手紙の内容を信用していたわけではない。金がないのだ。というよりも仕事が。フリーライターを名乗ってはいるが、50を越えたこの歳になっても安定した収入がない。面白そうなネタがあればなんにでも食いつき、記事にして売るのだ。とは言え、今回の件を記事にするつもりはないが……。



 博士の案内で研究室に通された。見慣れない機械や装置が並ぶ中、部屋の真ん中に電話ボックスのようなものがあった。

「これがタイムマシンだ」

 彼は自慢げな表情でそれに寄りかかった。

「そこに入ってタイムスリップをする、と言うことですか?」

「まさしくその通り。しかし漫画や映画のように、無制限に出来るというわけではない。タイムスリップが出来るのは、この装置がある時代だけだ。つまり、時間を超えた2台のこの装置の中を移動するということだな」

「それなら、現時点では未来にしか行けないのでは?」

 俺の疑問に、博士は想定内だとばかりに「いやいや」と笑う。

「実は、この装置自体が完成したのはもう40年も前のことなんだ。エネルギーや安全面の問題で、稼動させるのに今までかかってしまったというわけだ」

「と言う事は、40年前までなら過去にも遡れると」

「その通り」

 彼はタイムマシンの扉を開くと、

「では早速、実演して見せよう」

「ちょっと待ってください」

 今まさに乗り込もうとしていた博士は怪訝な顔で振り返る。

「なんだね?」

「実演とは言っても、本当にタイムスリップできたかどうか、私には確認のしようがありません。博士ができたと言い張るだけかもしれない」

「そんなことはせんよ。なんなら君も一緒に来るかね?」

「いいえ、遠慮しておきます。事故が起こる可能性だってありますし」

 俺の言葉に博士はムッとした表情を浮かべた。

「じゃあどうするね?」

「こうしましょう。私が高校生の頃、ある公園のベンチにカバンを置き忘れてそのまま無くしてしまったんです。それをここに持ってきてくれませんか?」

「それは、何年前の話だね?」

「確か、37年か8年くらいかと」

「それなら大丈夫だ」と胸を張る博士に、俺は日時と場所を告げた。

 それを暗記するように口の中で繰り返しながら、彼はタイムマシンに乗り込んだ。

 


 しばらく待ってからその扉を開く。中は空っぽだ。

 さらに待ってみるものの博士は帰ってこない。と言う事は、彼がこの時代に戻ってくることは二度とないだろう。タイムマシンがあれば、出発した時間に戻ることが出来るのだから。

 これでこの装置は俺のものだ。思わず笑いがこみ上げた。

 あの頃の記憶が再び甦る。

 当時高校生だった俺は受験勉強が捗らずイライラしていた。何事にも集中できず、もやもやした気持ちを抱えるうち、それを発散させるためにちょっとしたイタズラを思いき実行した。農薬を混入させたお菓子をあちこちのスーパーの売り場にばら撒いたのだ。瞬く間にそれは全国的なニュースになった。大騒ぎする人々を目にして俺は胸のすく思いだった。その行為はどんどんエスカレートし、ついには菓子メーカーに脅迫状を出すまでになった。やめて欲しければ一億円用意しろと。金の受け渡し場所には近所の公園を指定した。約束の時間、そこのベンチの上には黒いカバンが置かれていた。

 俺はマンションのベランダからそれを眺めつつ、あれをどうやって取りに行こうか悩んでいた。ところが突如見知らぬ男が現れ、カバンを持ち去ろうとした。当然潜んでいた警官が現れ、男は難なく逮捕された。

 今日初めて博士を見たときは驚いた。あのとき逮捕された男とそっくりだったからだ。しかし彼がタイムマシンを完成させたことに気づいた瞬間、俺はすべてを理解した。

 似ているのではなく、あの男こそ博士だったのだ。そして、あの時あの場所に、今の俺自身がいたということだ。



 息を潜めて俺はベンチのほうを見つめる。博士が現れた。黒いカバンを持ち上げる。その直後、大勢の刑事が飛び出してきた。

 コートを脱いで帽子をかぶる。今のご時勢どんなものにもマニアはいるもので、ネットで探せばこの頃の警察の制服だって簡単に手に入る。これで俺はどこから見ても警官だ。

 駆け足で公園に入ると、手錠姿の博士を刑事たちがパトカーへと引きずってゆくところだった。いずれ彼が脅迫犯でないことはわかるだろう。しかしすぐに釈放されるとは思えない。なぜなら身元の確認ができないからだ。この時代には既に若い頃の博士本人が居るのだ。

「自分は未来から来た」と叫びながら博士は闇雲に暴れまわる。刑事や警官たちは呆れ顔でその姿を眺めていた。

 そのどさくさにまぎれ、地面に転がる黒いカバンを拾い上げた。それを提げて来た道を戻る。誰も俺に気を留める様子はない。

 残る問題はこの一億の札束を、どうやって現代の金に換えるかだが、それもタイムマシンがあればどうとでもできるだろう。

 公園の傍にあるマンションの3階をチラリと見上げる。ベランダに人の姿があった。

 心配するな18歳の俺よ。いずれ金は手に入る。随分先の話にはなるが。

 胸のうちでそう思いながら、俺は博士の研究室へと急いだ。

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