救急車と9月とさくらももこ
頭おかしいくらいの早さで夏が終わり、もう9月になった。8月は最後に先輩がうちに泊まりに来て、その1週間後に姉が泊まりに来た。京都の魅力は存分に伝えられたと思う。
さて、最近の趣味は読書である。暇すぎてふらっと入った大垣書店にて、一番最初に目に止まったのが著さくらももこの「さくらえび」というエッセイ。さくらえびの購入から読書の良さを感じ始めた。
そんな僕は今日、救急車を呼んだ。
調子がおかしいと思ったのは昨日の夜から。20時ごろに夜ご飯を食べていたら、いきなり吐き気に襲われた。正しくは、飲み込む機能が停止した。別に食べた物を嘔吐する感覚はないが、なぜか飲み込めないのである。拒食症かな?と思いながらも、とりあえずは落ち着くために本を読んでゆっくりした。しかし、ふと、気がついたのである。
「息の仕方、忘れた。」
呼吸はできているのに、酸素が入っていく感覚がない。息ができない。僕は次第に視界が狭まるのを感じた。お母さんに電話をかけ症状を話し、半夏厚朴湯という不安感を取り除く漢方を飲むことで楽になり、眠りについた。
そして今日。ナポリタンを作り、ポケモンの実況を見ながら食べていると、例の症状が。飲み込めなくなったのである。またお母さんに電話をかけ、20分散歩をし、音楽を聴いてリラックスをすると落ち着いてきた。そして僕はシャワーを浴び、12時を回る頃に布団に入った。しかし1時間が経つ頃にまた気がついた。
「息の仕方、忘れた。」
深夜1時をゆうにすぎていたためお母さんは寝ているだろう。まずは水分を補給しようと考えた僕は近くの自販機に走り、ポカリと水を買った。心臓が痛む。体が重い。とりあえず家に帰ろう。これまでにない不安に襲われた僕は2歳上の姉に電話をかけた。ワンコールで姉は電話に出た。
「苦しかったら、救急車呼んでいいんだよ。お姉ちゃんの友達だって、便秘で呼んじゃうんだから。一人暮らし大変なんだし、辛かったら呼ぶんだよ。」
この言葉に救われた。呼んだら迷惑かもしれない。お母さんに心配かける。お金とかもどうしたらいいかわからない。息が苦しいのに加えて様々な不安が時間の経過とともに募っていく。また頭がぼんやりしてくる。苦しい。死ぬのかもしれない。動悸がすごい。手足がジーンとしてくる。冷や汗をかいてきた。苦しい。息ができない。
「僕、救急車呼んでみる。」
救急車の音が近づいてくる。部屋に救急隊員がくる。
「大丈夫ですか。お名前と生年月日言えますか。酸素濃度測ります。血圧測ります。体温測ります。今はね、コロナの影響があって、今すぐに連れて行ける病院が少ないの。しばらく連絡を待つ必要があるの。」
そう言われてから5分くらいがたっただろうか。苦しいのに僕は家で連絡を待つことしかできなかった。救急車に揺られ、大きめの総合病院へと搬送された。
病院ではまず、血圧、体温を測り、指に酸素のやつを装着して簡単に測れるものから測った。病院でよくある心電図みたいな「ピッピッピッピ・・・」とモニターに映し出されるやつがあった。そして太ももの付け根から血液を採取し、上半身に吸盤みたいなものをつけて心電図検査もしてもらった。何より安心したのは、看護師のおばちゃん2人とおっちゃん先生の3人に囲まれ、優しい関西弁で話をしてくれることだった。少しずつ落ち着いてきた僕だった。気を紛らわせてくれるように看護師さんは大学のこととか、バイトのこととか、サークルのこととか他愛のない話をしてくれた。
看護師A「彼女おらへんの?えー、同志社の学生さんやし、うちの病院の若いのとかどう?」
看護師B「なにゆうてんねん。おばちゃんやろあんた。」
A「あたしやないねん。ほら〇〇ちゃんとか20歳くらいやろ」
B「せやなあ〜。ならええなあ。」
その会話はおもしろくてあたたかくて平和で、すっかり安心した。そして数分後、検査の結果が出た。「過換気症候群」だった。若い人に多く、酸素が足りないのではなく、逆に酸素割合が多すぎて苦しくなって、もっと吸わなくちゃいけないと思って、余計に苦しくなるという症状だった。血中酸素飽和度の基準値は92〜96%らしいが僕の場合は99%だった。高すぎやん!血液検査のその他の結果は何の異常もなく、一人暮らしにしては健康すぎるくらい良い数値だった。原因については、ストレスとか心配性とか寝不足の自律神経の乱れとからしい。「考え過ぎんな」ってことらしい。だから、もし、また息ができないなって思ったら、何かに熱中したり気を紛らわしていけば大丈夫らしい。
はあ〜〜〜〜。疲れた。おやすみ。