【電子版】 ※この作文には不適切な内容が含まれている可能性があります。
この題名にすれば多くの人の目を引けると思った私を許してほしい。何を書こうか迷った私が過去の文集から感じたことを書こうと思う。先に言っておく(書いておく)が、面白くないと思ったら次のページに進んでいただいてかまわない。私の経験上、次のページに進んでいただいてかまわないなどと書かれている文章に限って読者は次のページに進まないと思うが一応言っておく。
まず「奇抜」な題名に私達は魅力を感じるのだと思う。だから私もこの題名にしたし、読んでいるあなたもきっと私のこの巧妙な神業に「釣られた」ということだと思う。また、文集になると自分が作家になったと錯覚してしまう人が多い。そこで私も作家気分で直木賞目指して、次の段落からそれっぽく作品を書こうと思う。
ついこの前まで蝉が鳴いていたこの土地に、もう雪が降った。山形に秋はないのだ。私はこの山形で、木々のように赤く色付くこともなく校庭の桜の木の葉のようにはかなく散るのであった…。
この一段落だけであなたは期待に胸を膨ませ、続きが気になったのではないだろうか。繰り返し伝えるが、面白くなかったら次のページへ進むことを推奨する。また、私はまだ書きたい作品がある。
私が委員会で困っているとき、あの人は教室の隅にいた。私が言いたいことを言えたときにその人は誰よりも先に拍手してくれた。
右の一段落のように「あの人」や「その人」を使ってある特定の異性を、本人以外には悟られぬように書くまるで自分を少女マンガのヒロインになったと錯覚する人もいる。うちの中学の生徒は実に面白い。そして興味深い。次にこんな作文を書きたい。
僕は疲れた。仲が良い訳ではない友人(仮)と話をするのは苦痛だ。先生の顔色を読み取ってばかりの自分が怖い。そんな私は二年の秋。リレーのバトンが落ちたようにひどく暗い絶望を感じた。もう二度と立ち直れないほどに。
これは男子に多いパターンだ。受験勉強に疲れたのか失恋したのかは知らないが「病んでいる」のだ。そしてこういう人に限って表現技法を上手に使っている。上で言うバトンや最後の一文のように。
今、私の作文を読んで気分が悪くなったら読むのを止めてほしい。
それでは、そろそろ最終章に入りたいと思う。今までくだらない短編集風の文章にお付き合いいただいたことに感謝している。今読者の方の読後感は最高に悪いだろう。だから私は最後に読後感を良いものにするために、私の考えを書く。ぜひ読んでほしい。
人は忘れる生き物だ。私はこの言葉が嫌いだ。なぜなら、ニワトリのほうがよっぽど忘れる生き物だからだ。忘れたい記憶を忘れられないのも、忘れたくない記憶を忘れてしまうのもよくある出来事だ。だから人間は多くの後悔をする。だからこそ、次に後悔したくないから考える。人は修正できる生き物だ。だから沢山後悔しよう。後悔してからでも遅くないから後悔しよう。そしていつか素敵な人になれたら、そこに生きることの意味を見い出せるのだと思う。
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※この文章は、2018年3月31日に発行された「琥珀Ⅲ」に収録された文集です。